友人から届いた、新年のあいさつメールに
「初女先生の凄さがじわじわ。何より人を変えようと
しないのが凄い」とありました。
そうなんです。
じっと話しを聴いてくださるけれど、何もおっしゃらないの
です。
私は、本当に自分で動きだせるようになるまで5年
かかりましたが、何も言わずに待っていて下さいました。
先生は、こたえはその人の中にあると言われて
いました。
そして、一人ひとりの中にある内なる神を信じて
下さっていたのだと思います。
「自分を信じて」と言われますが、それは内なる神の
事だと思います。
内なる神とは何か…
私はまだぼんやりとしか、わかりませんが
初女先生の『心の奥にはことばを
超えたいのちの筋があります』と言われている
いのちの筋が内なる神と繋がっている気が
するのです。
日野原先生の本を読んだ時のものでしょうか
『人のなかには神様がいる…
それはいつも自分ではなく他者が見いだしてくれる』
という言葉がノートに書き留めてありました。
私たちは、きっと内なる神と出会っているのですね。
初女先生の人を変えない凄さは、
人を信じる凄さでもあるのですね。
深い悲しみが私の核をつくってくれています。
悲しみは、心を深くしてくれるのでしょうか…
共感します。偶然にも若松さんの発行された雑誌を最近買いました。
魅かれました。
死者と生者に分けるまでもなく、人は人なくしては立っていられない存在です。逆に一人で立ってみようと足掻く精神を芯に持たなければ他者が支えてくれるとは思えません。一歩踏み出し、昨日の自分との別れに勇気を振り絞りたいと考えてます。さらに、生きているうちに生きている誰かを支える自分になっていきたいと考えています。私の悲しみという言語は心の壺の中に入って静かに蓋をされて生きています。ありがとう、考える時間をくださって。(^^)