夕飯を作っている時、上を見上げ「初女先生」って
呼びかけたら、涙が溢れてしまいました。
昨日、ブログにアップした写真を見ると
ガラス窓の向こうに白い椅子が見えます。
あの椅子に座って、訪れた人の
話に耳を傾けていた、先生のいらしたイスキアが
立ち上がって来るようです。
お茶やお茶菓子が出されても、一服することも
忘れて、初女先生に抱えて来た思いを話す人…
ただ初女先生の傍らにいる人…
先生は、話したい人は沢山いるけれど、聴く人が
いないのよと、言われていました。
『人は「受けとめられた」と思った瞬間から
本当の強さを発揮することができます。』と
言われていました。
ひとり一人のその力を信じてくれていました。
信仰とは信じ仰ぐと書きます。
初女先生は、どこまでも神さまを信じ自分を信じ
相手を信じていました。
ただ真っ直ぐに信じること、それが初女先生の
信仰だった気がします。
今、私は私の中で信じる力が、弱くなっているのを
感じています。
信じるだけの後ろだてがあるから信じるのでは
なく、唯々信じる、幼子のように…
この心を忘れていました。
「初女先生!」と呼びかけた時
私の心に「直さん、自分を信じて」という
先生の声が響いて来ました。
信仰とは信じること…
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