~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

与えられました

2011-02-14 23:52:00 | 日記
昨日、初女先生の講演会の場所探しで、三浦半島の民宿を訪ね

ました。

職場の人に連れて行ったもらったのですが、道中その民宿は駅から

バスだと言う事を聞いて、交通の便が悪かったらやめようかしらと

半ば諦めながら行きました。

着いて玄関の扉を開けると、昔ながらの民宿という感じに、思わず

「いいじゃん!」と心の中で叫んじゃいました。

すごーく静かなすごーく長閑な、お部屋から海が見えて暖房が

要らないくらいお日様がいっぱいで、いい感じなんです。

お風呂も二つあって、食事は大広間でみんなで一緒に…

当たり前のことが一つ一つ嬉しいのは、ここまで来るのに何度も

心が折れそうになったり、諦めかけたりしたからかしら…

宿のおじさんがまた、素朴でいい人という感じが全身から伝わって

きました。

私は、出来たら宿の方にも初女先生のことを知ってもらいたと

思っていたので、「いのちの森の台所」の本を出して、表紙の

写真を見せながら先生のことを話しました。

おじさんが、熱心に聞いて下さるので、先生が私のことを書いて

下さっているページを開けて、これ私なんです。と言うと

斜め読みでなくて、ちゃんと読んで下さり「これは、なあに?」と

ソウルフードの文字を指差して聞かれました。

私が「魂の食べ物」です。と答えると「魂の食べ物か」と

まるで、その言葉を体の中に呑み込むように言われたのです。

読み終わった後で、こんなすごい人がここに来てくれるんですかと、

感激されていました。

娘さんも「私もその先生のお話聞いていいですか」と言われ

この出会いを喜んで下さっていました。

宿のおじさんは、「その先生の本を自分も読んでみたい」と

本代を私に預けてくれました。

私はこの時、講演会の場所が決まったというより、「ここ!という

場所が与えられたんだ!」と思えました。そしたら、

今までの疲れが吹っ飛んでいき、どんなふうにやろうかという

イメージがどんどん膨らんで来ました。

それまでの大変さと不安が、いっぺんに楽しみに変わって

しまいました。

そして帰りには、この日の出来事を祝福するかのように、

見事な富士山がずーっと見えていました。

定員50人。本当に私の身の丈に合った人数です。

今日、先生に手紙を書きました。

「人数は50人です。先生のやりたいこと、何でも言って下さい。

人数が少ないから出来ることってあると思います」と…

さぁ、また頑張るぞー!

すごーく温かい雰囲気になる気が今からしているもーん!

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10年振りの同窓会

2011-02-13 22:51:40 | 日記
昨日は、10年振りで中学の同窓会がありました。

10年なんてあっという間のようですが、重い10年でもありました。

同窓会では、前回の時の写真が配られました。

2000年の時の同窓会の写真を見ながら、この翌年に私は息子を

亡くしたんだと思うと、写真に向かって「そんな凄いことが起きる

なんて、何にも知らない私がここに写っている」と呟いてしまいました。

私の隣でにこやかに笑っているT君は、この後癌になって亡くなり

ました。

鬼籍に入った人が6人になりました。

若い頃の10年と、歳を重ねての10年は本当に違います。

昔の話に花が咲きましたが、やっぱり私は今の話がしたいなー

と、思いました。

司馬遼太郎は40代は、世の中のことが分かって、その上まだ体力が

あって面白い!と書いていましたが、50代は真理が分かるようになり

なお且つ体力があって、一番面白い年齢かもしれないと思うのです。

やっぱり、今を生きる!だよね。と改めて思った、10年振りの

同窓会でした。

10年前の私に出会い、ちょっと成長した今の自分を感じました。

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動いてみると

2011-02-11 23:40:30 | 日記
去年の秋頃だろうか、新聞に「ゆず」の北川さんのやっている

アフリカの子ども達への支援に賛同した大学生達が、集まって

伊勢佐木町で集いをひらくという記事が載っていたので、

私が「行ってみたら、もしかして北川君が来るかもしれないよ」と

声をかけたことがありました。

息子は「受験で忙しいんだよ!」なんて言ってましたが、予備校の帰り

に行ったようで、あの人達アフリカに学校作るのにいくらかかるかも

知らないんだよ。と文句を言いながらもいつの間にか、そのグループに

参加していました。

12月にアフリカのことを知ってもらおうと、イベントを

やった時は、受験があるからと、当日だけ参加をした息子ですが

みんなと歌っている姿が、NHKのニュース番組にしっかりと

映ってました。

大学生になったらアフリカの子ども達への、ボランティアをしたい

という息子の夢の初めの一歩でしょうか…

今日はなんと、そのグループがゆずのイベントに招待され、

終わった後に、楽屋でゆずと一緒に歌うという素敵な一日になった

のです。

一つの新聞記事から、動いたことによって「ゆず」と一緒に歌う

とういことになったのです。

頭で考えていたら、ただの妄想で終わることが、動いたことで

思わぬ展開になるということを、息子は体験しました。

行動することの、素晴らしさを彼は知ったようです。

外は冷たいみぞれが降っていましたが、息子は温かい心で帰って

来たようです。

「お母さん、ゆずの北川君ってすっごくいい人だよ!」と…

久し振りに見る、彼の晴れやかな笑顔でした。
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ご先祖さまの時間

2011-02-10 23:31:37 | 日記
今朝、自転車に乗っていて、青空を見た時「あ!私の青いスイッチが

オンになった!」と思ったら何だか元気が出てきました。

帰ってブログを見たら「青空の青いスイッチがあるなら、夕陽の

オレンジのスイッチもあるのでは…」というコメントを頂き

嬉しくなりました。

遺伝子時計ってなかなか素敵!

遺伝子時計を持っている人間が、曜日を作りだしました。

6日働いた後に安息日で神に感謝するというものです。

キリスト教の安息日は日曜日、ユダヤ教は土曜日、イスラム教は

金曜日。では私達の国、日本はというと、明治以降は7曜制が採用

されましたが、その前は「ハレとケ」という大きな時間の中にあった

ようです。

盆に正月お祭りと、数少ないハレの日を楽しみに、決して豊かでは

ない日々の暮らしを、淡々と営んできた私達のご先祖様って

凄いなーと思えるんです。

ご先祖様達は「時」というものに対し、今よりもっと大らかに

身を置いていたように思えます。

時を告げるのは、お寺の鐘ぐらいで、日が昇ればそこから

一日が始まり、日が落ちたらその日が終わっていく…

自然の刻む時の流れの中に、自分達の生活があった…

それがいつの頃からか、人はハレの日ばかりを欲するようになり、

眠らない街の中で、自分をすり減らしています。

自然に反した生き方をしているから、元気がない人達が

どんどん増えていくようです。

青空を見上げ、遺伝子時計をオンにして、ご先祖様が生きて

きた、あの時間軸を少しでも取り戻したいなーと、今わたしは

そんなことを考えています。




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青空のスイッチ

2011-02-09 23:15:12 | 日記
人間の遺伝子時計が、青空の青でスイッチが入ると昨日のブログに

書いたので、今日の青空はいつもと違って見えました。

空を見上げると、何だか自分の体に新しいエネルギーが入って

来るような気がしました。

お日様の温かさに包まれ、スイッチオンした私の体は、気持ちは

元気一杯になりました。

今日はその勢いで「書」に行きました。

中国の古典の臨書は、その奥の深さに挑んでも挑んでも

はねつけられる面白さがあります。

私は「乎」という字に挑戦しました。

青空のスイッチのせいか、元気がいい字だと言われました。

毎朝、空を見上げ遺伝子時計のスイッチをオンにしよう!

心も体も元気にするために!

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時計遺伝子

2011-02-08 22:20:07 | 日記
よく体内時計などと言いますが、ヒトゲノムの解析によって

時計遺伝子というものが分かったそうです。

「時間医学」という言葉を初めて知りました。

単細胞を含む全ての生物がリズムを刻んでいて、宇宙や自然の現象

に応じて生物が進化を繰り返した結果、生体リズムを獲得したと

考えられるそうです。

朝、晴れた青空を見上げるとすがすがしい気持ちになるのも

時計遺伝子のせいだとか…

青を感知する遺伝子が体に組み込まれていて、朝の青い光が

スイッチになって、規則正しい夜の眠りが促されるそうです。

落ち込んだ時も、青空を見るとそれだけで元気になるのは

時計遺伝子の働きもあるのでしょうか…

人間の体とはなんと不思議なものでしょう。

そして、どこまでも生命(いのち)を支えその生命を脈々と

繋いでいこうという、何か強い意志のようなものを感じます。

苦しい時、悲しい時、青空を見上げれば時計遺伝子のスイッチが

入ると思うと、それだけで何とかなるさ!大丈夫って思える

気がします。

明日も、青空を見上げよう!
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今日という日

2011-02-07 21:46:02 | 日記
今日は息子の誕生日!

やっぱり、あの子らしい晴れ渡った青空でした。

亡くなった子に歳を重ねることはしませんが、あれから10年

13歳のあの子が…

大学受験に行く息子に「今日はお兄ちゃんの誕生日だから、ケーキ

買ってくるね」と言って送り出しました。

私は、初女先生の宿泊での講演会の交渉を宿にお願いに行きました。

行って聞いてみると、貸切は可能ですが、おむすびは食中毒の問題

から、許可できないと言われ、がっくりしてケーキのことなど

すっかり忘れて帰って来てしまいました。

私が家に入ると同時に息子に、「お母さん、誕生日のケーキ

買ってきた?」と言われ、お兄ちゃんのケーキまで忘れたと

落ち込んでいると、息子が「オレが買ってこようか」と言って

自転車を飛ばして、お兄ちゃんの好きだったケーキを買って来て

くれました。

私達は、それをさり気なく食べました。

だって、あんまりちゃんとやってしまうと悲しいから

創の誕生日だから、初女先生の講演会の場所も決まると思って

いたのに…

でも諦めないで、また創の力を借りて進んでいこう…

「お誕生日 おめでとう!」
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悲しみとの和解

2011-02-06 12:36:44 | 日記
ずっと気になって心から消えていかない事件があります。

2000年12月30日に世田谷で起きた、一家4人の家族が殺害された

事件です。いまだに犯人は捕まっていません。

私は2001年に息子を亡くしているので、この宮澤さんの遺された

ご遺族のことが、どこか気になっていました。

息子を失ってから、新聞記事やテレビを観ていても他人の死が

どうしても第三者の死と受けとめられないのです。

自爆テロで亡くなった少女のことがニュースに流れると、涙が溢れて

きたり…

悲しい陰惨な事件が後を絶ちませんが、そんな中でもこの世田谷の

宮澤さんの事件は、私の心に忘れるなとくさびを打ち込んだように

残っていました。

柳田邦男さんの本を読んでいたら、宮澤さんの奥さんのお姉さんの

ことが書いてありました。

引用されていた、入江さん(宮澤さんの奥さんの姉)の文章を読み

悲しみや苦しみは、比べることが出来ないくらい深く大きな

ものでしょうが、私の辿って来た道と本当に共通している事に

驚きと、もしかしたら深い悲しみや苦しみから立ち上がる

道筋というもがあるのだろうかと思えました。

入江さんは「頭でわかっていても死を受け容れるには、これほど

難しいものかと、わが身を振り返ってあらためて思います。

あんな形の死を私は一生受け入れることが出来ない

認められないでしょう」と書いていました。

そうなんです。現実に起きている事を受け容れられない。

ここから苦しみが始まるのです。

入江さんも書いていましたが、苦しみの中から出て来る問いは

「なんのために生きているのだろう」というものです。

生きているのが当たり前というものが、すっかり失われてしまう

のです。

柳田さんはこれを「愛する人を亡くすということは、遺された人の

心の中で、もう一つの死が生じることである。

生きる支えとなる柱がなくなったような、あるいは道標のない

荒野をさまようような、虚無感の中で、昨日が過ぎ今日も過ぎて行く」

と記しています。

まさに、私もその通りでした。

そこからの一歩を踏み出せるかどうかは「なんのために生きている

のか」という亡くなった人が遺して行ったこの問いと向き合うこと

でした。

入江さんんもこのことと向き合い続けて来たようです。

私は彼女の文章の中に、私が今まで読んだどの本にもなかった

素晴らしい言葉と出会えました。

「悲しみとの和解」

なんと深い言葉でしょう。この言葉が生まれるまで入江さんは

どれほど苦しまれたことでしょう…

どんなに年月が経っても、悲しみは歴然としてあるのです。

では、なぜこんなふうに笑って日常が送れるのか、それは

時間をかけ、ゆっくりゆっくりと悲しみとの和解をしてきた

からなのでしょう。

去年の暮の新聞に、入江さんの息子さんが、宮澤さん一家の事件を

風化させてはいけないと、今まで遺族であることを言わなかったが

自ら、事件のことを語り始めていると書いてありました。

いのちがいのちを繋いでいます。

「悲しみとの和解」なんと深い言葉でしょう…


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料理の心

2011-02-04 21:22:21 | 日記
私は、大根おろしで大根を卸す時、「これって疲れるんだよなー」という

思いがいつも、ちらっと顔を出すのです。

そういう思いを持って、卸すと間違いなく疲れるのです。そして最後は

向きになって、大根おろしに大根を押し当ててすっているのです。

先日テレビの料理番組を観ていたら、「大根はとにかく優しくすって

下さい。優しく。そうすれば辛くならず、優しい味になります。」と

言っていたのを聞いて、ハッとしました。

あー私は、大根の気持ちになっていなかったなーと…

初女先生なら、大根が痛くないように優しく卸すだろうなと、

思いました。

料理する姿には、その人の生き方そのものが見えて来ると、

初女先生は言われていました。

  「手間を掛けることは、心をかけること。

   心をかけるには、それなりに時間がかかるものです。

   そうやって手間を惜しまず、時間をかけていくと、

   食材のいのち一つ一つがより愛おしく感じられる

   ようになってきます。

   いのちを生かすということは、子供を育てるような

   ものでしょう。」

             佐藤 初女
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挫折の免疫

2011-02-03 20:53:34 | 日記
息子の大学入試が始まりました。

初日の日、試験から帰って来た息子が「お母さん、マジ期末テストと

違うよ」と言ったのには驚ました。

私は心の中で「マジ、そんなことが今、分かったんかい!」

と思ったのですが、その言葉は呑み込みました。

そして、私は最後のお弁当作りに情熱を注いでいます。

試験が出来ず、胸が一杯で食べられないのかと思うと、それと

これとは別らしく、毎日完食です。

そんな息子が「お母さん、テレビで言ってたけれど、今 大学も

AOとか推薦で入っちゃうから、人生最初の挫折が就職って言う人が

増えてきてるんだって」と教えてくれました。

夜のテレビでは、大学を出て就職で挫折して20年間引きこもっている

男性が出ていました。

それを見ていて、そうか挫折の免疫も必要なのだと思いました。

日々受験の大変さに、へこみながら試験を受けに行く息子よ、

しんどいだろうが、大変な事に向き合うという体験によって

人生は耕されていくのですから…

受験が終わったら、きっと前より逞しい君になっているよ。

頑張らない生き方も大切だけど、頑張らなきゃいけない時も

人生にはあるのです。

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