大林宜彦監督の記事を、監督の「野のなななのか」
に出演した知り合いの女優の斎藤とも子さんに
送ろうと切り抜いていた時、下にあった文章が
目に入り繰り返し読んでしましました。
長いけれど、一人でも読んで頂けたらな~と
思い、ここに写します。
これも、ひとつの「イマジン」かもしれません。
『終戦直後、韓国からの引き揚げ船での出来事を
作家の久世光彦さんが書いている。
食べ物をめぐって男たちがけんかを始めた。
「争っている男たち自身、情けないやりきれない
思いだったが、それぞれ後へは引けなかった」
刃物まで持ち出し、いまにも血を見るという時
おばあさんが唱歌の「おぼろ月夜」を呟くように
歌い出したそうだ。
〈菜の花畠に入日薄れ〉ー。周りの何人かが
それに合わせ、やがて歌声は船内の隅々まで
広がっていった。
争っていた男たちが最初に泣き出した。
みんな泣いていた。
終戦の日を迎えた。
74年前の「おぼろ月夜」を想像してみる。
複雑な涙だろう
戦争が終わったとはいえ、不安いらだちは消えぬ
日本はどうなるのか。
その望郷の歌がかつての平穏な日々と人間らしさを
思い出させ、涙となったか。
切ない歌声だったろう。その場にいた人が
二十歳として現在九十歳を超えている。
戦争の過去は昭和、平成、令和へと遠くなる
そして戦争の痛みもまた遠くなる。
それを忘れ、戦争をおそれず、物言いが勇ましく
なっていく風潮を警戒する。
もし戦争になれば…
せめてその想像力だけは手放してはならない
「二番が終わるとまた一番に戻り、おぼろ月夜は
エンドレスに続いた」
船の中の歌声をもう一度想像してみる
令和元年 8月15日東京新聞』