世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ガラスのピエタ

2015-05-02 07:07:12 | 月夜の考古学・本館

 蝋細工の町はくすんだパステルカラーに塗られている。まるで博物館の中の古い砂糖菓子のようさ! どんなにきれいだって、ちょっと食べるのははばかられるってやつ。魔女は箒に乗り手に銀の鎌を持って、空から町を見下ろしてた。
 銀の鎌は時間の鎌。魔女はそれで真実を真っ二つに切ることができるのさ。もっともやってみたことはないがね。だって鎌は、この世で一番無垢な銀でできている。鎌を使えば最後、銀はおのれの罪深さにおびえて壊れてしまうだろう! おのれの身を子供に与えて消えていくハサミムシの母のように、恐ろしく貪欲な時間の虫の群れに、身を躍らせてしまうのさ。



 さて町の真ん中には藤色の円蓋をした白い会議場が鎮座している。空っぽのコムニタス! 幻想のコムニタス! ミイラ男は誰もいない議場の真ん中で、おおげさに手をふりながら演説している!
 ――さあ行こう、みんな! 楽しいことが待っている!
 ――さあ行こう、みんな! 楽しいことが待っている!

魔女は天窓の一つからその様を覗いて、ひどく不快になったのさ。手に持った銀の鎌が、突然重くなって、落っこちそうになったからね。
 大量の包帯を巻いてダルマのようになったミイラ男は、まるで炎のようさ。どうしてあんな元気がでるんだろ! こんな寂しい町で、まるで百万人の友に取り巻かれているような、高らかな声と言葉! 一体どこでそんな術を覚えて来たんだい? あんたのつまらない運と人生を、全部逆手に取ってやろうとでも思ったのかね? 何のために? 誰のために? ああ、これだから男ってやつは!



 魔女はゆっくりと鎌を振り上げた。ああいうやつは大嫌い。弱虫の癖して、ちっとも素直じゃない男。ちっとこらしめてやろうじゃないか。この鎌を振り上げて、あいつのあの包帯をひんむいてやろう。さてどんなちっぽけなものが出てくることやら!
 だが鎌を握る手に力を込めたとたん、魔女は動けなくなった。銀の刃が滴のように震えて、肩にしたたり落ちてきたからさ。銀の滴は言いやがる。やめてください、やめてください、痛い、痛い、痛い、痛い……
 やれやれ! いつもこれさ! 魔女は鎌を下げる。そうとも、できっこないのさ、そんなこと。だって結果は分かってる。ミイラ男の包帯は、もう自分の肉体とおんなじさ。あいつの包帯をひんむくのは、肉を引きはぐのとおんなじさ。あいつをそんなにしたやつは、時間の虫さ。あいつは単に、負けたのさ。ただそれだけさ。

 ――さあ行こう、みんな! 楽しいことが待っている!
 ――さあ行こう、みんな! 楽しいことが待っている!

 魔女は目をそらす。あんなに立派に神様の真似ができるやつの、奥の奥の心臓には、小さな引き出しがついているもんだということを、今少し思い出したからさ。
 いつの間にか夜になっていて、見上げると月が細く見えない手を差し延べている。月光は沈黙のヴェールを降ろして、円蓋を優しく包みこむ。振り向くとミイラ男は眠っている。膨らんだ腹を胎児のように抱いてさ。
 月の指が包帯の隙間から忍び込んで、ゆっくりと彼の心臓の引き出しを開ける。すると小さなミルク色の芽が伸び出して、月の光の優しい指を求めるのだ。母親にすがりつく赤ん坊みたいに。そして魔女は見る。その白く柔らかな双葉の間に、ほんの小さな、ケシ粒のように小さな、一粒の粉ガラスでできた、きらめくピエタが眠っていることを。



 魔女は拍子抜けして、苦笑いする。月を見上げて、ふっとため息をつく。どうしようもないさね。だって魔法なんてそんなもんさ。魔法を使える奴は、決して魔法を使えないのさ。
 それだけの話だ。とどのつまり、真実には何もできないのさ。力を持っているのは夢だけだ。虹色の光を放つ、ガラスのピエタ。目覚めの時を待つ、永遠の物語。

 魔女はすごすごと鎌をおさめて、月のヴェールの向こうに消える。敗北は誰のものでもない。勝利だとて。朝がくればミイラ男は再び起き上がり、夢のことなどすっかり忘れて、声高に言うだろう。

 ――さあ行こう、みんな! 楽しいことが待っている!

(おわり)



(1994年ちこり1号所収。種野思束名で発表。絵も。)






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