世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

スギ

2015-05-05 06:46:07 | 月夜の考古学・本館

スギ   Cryptomeria japonica

スギ科スギ属の常緑高木。
 ある秋の日のこと。私はチラシ配りのバイトをしていました。古い家並みの並ぶ町の、細く曲がりくねった道を、家々のポストにチラシを入れながら歩いていくと、いつしか、風に導かれるように、見知らぬ神社につながる石段の前にいたのです。
 呼ばれたような気がして、石段に登り、お参りをしました。お社の前にひざまずき、何とはなしに幸せな気持ちで奥を見つめていると、左手の方から日が差してきました。神様が笑いかけてくれたような一瞬でした。
 お社の横の方に回ると、また山の上に登る石段があり、そのわきに、高い杉の木が何本か立っていました。そして、太陽は、ちょうどその杉の木の肩にかつがれるようなかっこうで、金色に輝いていました。空にも山にも光は降り注ぎ、何かの高貴な霊性が空気の中に音楽のように満ちていました。私はそれらの中に包まれ、一人、今、自分が自分であることの幸せを、かみしめていました。
 生きることはそのまま輝きであり、幸福でした。
 しかし、振り返れば、私も、魂を粉々に砕かれるほど、深い奈落に落ちたことがありました。硬い壁にぶつかり、氷の魂の裏切りに出会い、涙も声も、言葉さえも失いかけたことがあったのです。私は、全てを失いかけたあの奈落から、長い年月を、生き直し、学び直しながら、一つ一つ、ばらばらになった自分を組み直してきたのです。たった一つ自分に残った、かすかな希望の光の種を、元に。
 振り返れば、あの奈落の経験がなければ、今、生きる喜びが子の胸にしみとおる幸福を、こんなにも深く感じることはできなかったでしょう。透明になってゆく胸の奥に、懐かしい本当の自分との再会を、乳のように満ちてくる光の中で、感じることはできなかったでしょう。
 だから、今、奈落の底であえいでいる人に、伝えたいことがあるのです。その奈落こそが、本当の自分への出発点なんだと。壊れてしまった自分は、本当の自分ではないのです。それは、仮性の森を抜けてきた時にこびりついてきた、幻に過ぎません。本当の自分は、
粉々になった自分の中から、ただ一つあなたの元を去らない、たった一粒の、光の中にあるのです。


*


2005年、花詩集20号。南野珠子名で発表。
裏面のエッセイも掲載した。




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