ガエタノ・ガンドルフィ
マケドニア王アレクサンドロスがコリントに来た時、犬儒派の哲学者ディオゲネスの元を訪ねた。恰好など構わず、樽の中に住み、乞食のような生活をしていたディオゲネスは、アレクサンドロスがきたとき、日向ぼっこをしていた。アレクサンドロスがディオゲネスに、何か望むことはないかと聞くと、ディオゲネスは「ある」と答えた。「そこに立っていられると日影になるからどいてくれ。」ディオゲネスの元を去ったアレクサンドロスは、もし自分以外のものになれるのだとしたら、ディオゲネスがいい、と言った。
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わたしたちはディオゲネスはあまり評価していません。おもしろい個性だが、こういう暮らしは堕落に流れやすい。それよりは、血だらけになりながら自ら難に切り込んでいったアレクサンドロスを評価します。間違っていたのか正しかったのかは問題ではない。人間としてやったことは、アレクサンドロスのほうがはるかに大きいのです。過ちも苦境も自分のものとして飛び込み、あがきにあがいて生きた。その分だけ、自分の中に作れた力がある。ディオゲネスのように人の上げ足をとるような生き方では、結局何事もなしえない。