「聖愛と俗愛」
「聖愛と俗愛」から「聖愛」
「聖愛と俗愛」から「俗愛」
「イサベル皇后の肖像」
「洗礼者ヨハネ」
「貢の銭」
ティツィアーノ・ヴェチェリオは分裂している。
彼の人生は天使と馬鹿の霊が二重支配している。よってその作品は、本霊である天使が描いたものと、その人生を横から奪って支配している馬鹿が描いたものの、二つに分類されてしまう。その境界はかなりあいまいだが。
よく見て感じてみたまえ。同じ画家が描いたとは思えないものがあるだろう。特にイエスの顔を描いた絵などは、まったくイエスに見えない。まるでわいろをとる宗教家のようだ。ティツィアーノにはイエスの顔がなかなか描けなかったのだ。イエスの運命があまりに惨すぎたからだ。だから彼の作品の中のイエスは、ほとんど馬鹿が描いていると言っていい。
「聖愛と俗愛」は、彼のそういう二重性を端的に表している。
ティツィアーノは肖像画や神話画などにはすばらしい作品があるが、宗教画にはほとんど見るべき作品がない。それは彼にとりついて彼の人生を奪っている馬鹿が描いているからだ。