世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-03-26 06:41:23 | 月の世の物語・上部編

首府より少し離れたところに、一つの町があった。それは町というより、一つの大きな寺院のような建物であった。青ざめた白い光の柱は町にたくさん立てられ、空気のようなベリルを月光水に溶解させ、その化学変化から生じた煙を固化し、壁材として町を囲った。粘着材は一巻の物語の音韻であった。その物語は、古い古い時代の上部人が著した、真の存在の使命の意味を深く考察したものであった。それゆえにその町ではいつも、真理を正しく追う心に、焦るようにかき立てられる者たちが集まり、さまざまな議論や、考察や、計算や、創作が試みられていた。

町の真ん中には、高くも巨大な半球形の天井があり、上部を超えたまた上部から下ろされた、清い日照の明かりがその最も高い所に灯っていた。ために、町の中は、その外部より一層明るく、眩しい光に埋もれていた。その中の風景はまるで、人々が乳の中を泳いでいるようでもあった。彼らは光の中で、それぞれに自分で自分の座席や机を作り、時に珍しい書物を開き、新しい知恵を求めたり、ときに輪を囲んで議論し、魔法についての新しい知恵をみなで編み出すために、高き神よりの霊感を得ようとし、ときに、自らの魔法を用いて、光の壁に複雑な文様を組み合わせた一つの世界の設計図を描いたりした。

「おぅ、る、あふい」今その町の中の一隅で、ある上部人が言った。「実験をしてみたいのだが、ともに見てはくれないか。それほど珍しくはないものだが、今少し、それをやってみたい心がわたしにあるのだ」と彼は言ったのであった。彼の周りには、十人ほどの上部人がいた。彼らは黙ってうなずき、彼に「よし」という意を表した。するとその上部人は、得たりと思い、右の手を、す、と横に滑らせ、小さな青水晶の小杖を出した。彼はそれで、琴の糸を弾くような音楽を鳴らし、周囲の上部人たちの前に、一枚の白い蛋白石のスクリーンを出した。ほう、と誰かが言った。彼のやろうとすることがわかったからだ。他の誰かが、少し眉を歪め、目を少しスクリーンからそらし、よ、と不快の意を示した。スクリーンを出した上部人はそれに対して、頭を下げ、「ぃる」と言って陳謝した。

上部人は、青い小杖を、びんと鳴らした。するとスクリーンの画面に、一人の青い人間が、現れた。それは、人類という存在の全てを表現する紋章のようなものであった。ぉうり、と、誰かそれを指差して、言った。「苦しい。めずらしくもない。だが本当のことを度々と見るのは、ためにならぬことではない。何か君は、これによって新しきものを我らに示すのか」と彼は尋ねたのだ。実験を行うと言った上部人は、ただ、「い」と言った。「やってみねばわからないが、とにかく見ていてくれたまえ」という意味であった。

上部人はスクリーンの横に立ち、青水晶の小杖を振り、また不思議な音楽を鳴らした。すると画面の中の青い人間が、走り始めた。彼は、あまりにも苦しそうに、激しく息をしながら、走っていた。走っているのは、果てもない荒野であった。空は血に染まったような朱色であり、日も月もなかった。それは、世界が焼けただれ、全ては失われてしまったからであった。青い人間は、朱色の空の光を浴び、ほんのりと紫色に染まりながら、ただ、息を切らして走っていた。彼は、探していた。そして、逃げていた。上部人たちはすべてもう知っていた。彼が探しているのは、自分以外の人間だった。そして、逃げているのは、自分からだった。彼は、自分を、自分で背負うことをいやがっていた。なぜならそれは、とても愚かな、汚れた、恥ずかしくてたまらないことを行い、あまりにも小さく、つまらない、取るに足らない、ゴミのようなものでありながら、巨大な鉄のように重く、深い罪の影であったからだ。彼は、自分以外の人間を探し、どうにかして、そのいやな自分を、その誰かに押しつけられないかと、考えていた。彼は、自分存在を、他の存在に押し付け、すべて背負わせようとしていたのだ。それがために、他の人間を探していた。だが、もう、世界は滅びていたので、彼の他には誰も人間はいなかった。彼は、永遠に孤独に、自分以外の人間を、自分の存在をその人間に背追わせるために探し、走り続けているのだ。

「つ、むぃ」と、スクリーンを作った上部人が言った。「ここまでは、いつもと同じだ。怪の心象風景は、まさにこれそのものだ。ほとんどの人類の魂もまた、これと似た状況に陥っている」と彼は言ったのだ。「ぃの」誰かが言った。「これからどうするのだね?」と尋ねたのだ。スクリーンを出した上部人は、つ、と舌の奥でささやくと、また青水晶の小杖を振り、今度は、手元に小さなクリソベリルのかけらを出した。そしてそれを、一息の呪文とともに、スクリーンに放り込んだ。次に彼はまた小杖を振り、今度は小鳥の声を固めた、金の粒を出した。彼はまたそれを、スクリーンの中に、呪文とともに放り込んだ。そして次は、小杖を笛に変え、それで一息、彼の創作した不思議な音楽を鳴らした。

すると、スクリーンの中の青い人間の前に、ひとりの、白い人間が現れた。青い人間は、それを見て驚いた。自分以外の人間がいるなど、彼は思いもしなかったようだ。青い人間は、白い人間を見て、最初はただ、驚いて沈黙しているばかりだったが、やがて、その存在が確かなものであるとわかると、突然、口を開き、うるさい鴉のようにしゃべり始めた。彼が言っていることを聞いて、スクリーンを見ていた上部人たちは一斉に顔を歪め、うぉうぬ、と叫んだ。「不快なり。なんと愚かな」彼らは言ったのであった。

青い人間は白い人間を罵倒していた。それはそれは見事な、美しい彩を織るような見事な隠喩の歌で、白い人間を、侮蔑していた。それは恐ろしくも巧みな、饒舌にもほどがある長い詩曲であった。知恵足らぬものがそれを聞けば、いかにもそれは、人間存在をたたえる歓喜の歌にも聞こえるだろう。だが、その歌の裏には、ことのはの美の衣に覆い隠した、憎悪、恨み、妬み、あらゆる人間の影の苦しみがのたうち、うごめいていた。ああ、と誰かが嘆いた。神より学んだことのはの美を、彼らはなんということに使うのだろう。悲哀が彼らを襲ったが、彼らはそれぞれに自分をしばし植物の霊のように静まらせ、自分を癒し、そこにとどまり、黙って実験を見守った。

白い人間は、初め、自分がほめられていると思って、喜んでいたが、いつしか、自分が、青い人間によって、奴隷のように扱われ、彼の代わりに、彼のすることをみな、自分がやらされていることに、気付き始めた。そして彼は、疑問を持った。美しい言葉を語る青い人間に対し、初めて、「なぜだ」ということを言った。「なぜ、あなたは、そんなにもたくさんのことを言うのだ。あなたは、まるで次々とゴミを捨てるかのように、たくさんの言葉を吐くのだが、それは、とても、美しい言葉には、聞こえるのだが、なぜか、心に響かぬのだ。わたしは、萎えてゆくばかりだ。なぜ、美しい言葉が、美しいとわたしに響かないのか。それを聞けば聞くほど、わたしは苦しくなるばかりなのだが、それはなぜなのだ」白い人間が言うと、青い人間は、初めて、顔に憎しみを表した。彼は巧みな言葉で、反抗は許さぬ、と白い人間に言った。おまえは、おれだ。おれのことは、すべて、おまえがやるのだと、彼に言った。青い人間は、初めて、鞭を取った。そしてそれで、白い人間を打った。おまえは、いらぬものだ、と彼は巧みな隠喩で言った。おまえは、おらぬものだ、と彼は見事な詩で歌った。ゆえに、おまえは、おれだ。おれのすべてを、おまえは、負うのだ。おまえは、おれのものだ。青い人間は、憎しみに燃える目で、白い人間に言い続けた。

「おぅくるぅぅ…」スクリーンを見ていた上部人たちが、一斉に嘆いた。ある上部人が言った。「くぉぅ」、…こうならざるを得ないのか、やはり。「もん、ふ」…段階の問題だ。彼らはまだ幼い。技だけはかなり巧みだが、真の意味は何も分かっていない。「り、おる」…これから、どういう進展があるのか。実験はまだ続くのか?

スクリーンを作った上部人は沈黙したまま頭を下げ、しばし状況を見つめてくれるようにと、彼らに頼んだ。

青い人間は、白い人間を鞭うち続けた。そして己がやるべきことを、無理やり、すべて彼にやらせた。おのれが払うべき罪を、すべて、彼に払わせた。白い人間は何度か反抗を試みたが、青い人間ほど、強く憎しみを持つことができなかったので、ことごとくそれは、青い人間によって砕かれた。やがて彼は、疲れ果て、病に落ち、血も枯れ果て、とうとう、息絶えた。青い人間は、白い人間が、何度鞭うっても、動かないことに、よほど時間が経ってから、気付いた。白い人間が死んだのを、青い人間は認めたくなかったので、まだ、その骸を、鞭打ち続けた。その体が、朽ちて、骨が見え始めても、まだ、鞭打ち続けた。おれは、おまえだ。おまえは、おれだ。おれは、おまえだ。おまえは、おれだ……と、彼は言いながら、まだ鞭打った。しかし、それはやがて、終わらねば、ならなかった。青い人間は、認めなければならなかった。もはや、彼は動かない。行ってしまった。自分の元から、永遠に去ってしまった。

それを認めた青い人間は、ようやく鞭を振るう手を下ろし、ぐらりと揺れて前に倒れたかと思うと、地に伏して激しく泣いた。そしてしばらくして、ぎゃあ、と高く吠え、すばやく起き上がると、骸を抱きしめて、叫んだ。「愛している!帰ってきてくれ!!」

「ぬ」それを見た一人の上部人が吐き捨てるように言った。「愚かな」と彼は言ったのだ。

「何をいまさら、言うのだ」死んだ白い人間の魂が、青い人間の耳には聞こえぬ、風のような声でささやいた。そして彼は、本当に、世界の向こうに消えて行った。もう、決して帰っては来れないところへ、行ってしまった。

青い人間は再び、孤独になった。彼は、骸を抱きしめたまま、荒野に佇んだ。その目は、虚無のようにうつろだった。何を失ったのか。自分は何をやったのか。考えがよぎった。すると、それを待っていたかのように、スクリーンを出した上部人は、小杖を揺らし、手の中に、水晶の小瓶を出した。その中には、ちらちらと青く光る粉が微量入っていた。それは、ロードクロサイトを青く燃やし、浸食される魚類の眼から練りだした無残な悲哀を溶かしこんだ、一種の幻覚性碧青光を放つ、魂の劇薬であった。彼はそれを、瓶ごとスクリーンの中に放り込んだ。

変化は、すぐには起こらなかった。実験を見ている上部人たちは、静かに経過を眺めていた。青い人間の瞳の虚無の中に、わずかながら変化が見え始めたからだ。彼らはそれを見逃さなかった。それが何の予感なのかも、すでにわかっていたが、誰も何も言わなかった。

ああ…、スクリーンを出した上部人が言った。それに答えるように、変化は起きた。青い人間が抱きしめている骸が、かすかに動き、ことん、と地に落ちた。するとそれは、見る間に青い芽を出し、どんどんと茎をのばし、葉を伸ばし、つるを伸ばし、やがて一本の大きな薔薇の大樹となった。薔薇の木は透き通るような巨大な緑の塊であったが、花は一つもつけてはいなかった。青い人間はそれを見て、何かにつき動かされるように、薔薇の大樹を登り始めた。空には、いつしか、太陽があった。その朱色の光を目指して、彼は薔薇の木を登った。青い人間は、ああ、と叫んだ。彼は、何かが、わかるような気がする、と言いたかったのだ。彼は、薔薇の刺に全身傷つきながらも、何かに追い立てられるように薔薇の木を登り続けた。その間も、薔薇の木は成長を続け、彼が登れば登るほど、大きくなり、どんなに登っても、てっぺんにたどり着くことはできなかった。それでも彼は登り続けた。登ってゆくほど、薔薇の刺は激しく痛く彼を刺した。彼はそれが、かつて、白い彼に向かって、彼が言った言葉の化身だということに、気付いた。その痛みの、激しいこと、苦しいことに、やっと気付いた。ああ、と彼はまた言った。涙を流し、それを飲んだ。それはしびれるように苦かった。すると、薔薇の木の、彼のすぐそばに、ほんの小さな、薔薇のつぼみが一つついた。つぼみはまだ硬かったが、かすかに紅の光を、やどしていた。薔薇は語った。愛していたと。あなたを愛していたと。あなたを、愛していたと。

青い人間は唇を噛み、目前をはばむ、とりわけ大きな刺に、自ら自分の腕を、思い切り刺した。うああ!と彼は叫んだ。腕は裂け、その痛みは激しく彼の魂を揺さぶった。愛している、と彼は叫んだ。彼は自らの血を浴びながら薔薇を登り続けた。登って行くほどに、彼の青い体から、青い色がぽろぽろと干からびた皮のように剥がれ落ちて、彼はだんだんと白くなっていった。その青い色が、かつて自分が自分に塗った嘘だったということを、彼は思い出した。そしてとうとう、彼は薔薇の成長においつき、その木のてっぺんにたどり着き、太陽に手を伸ばし、それを、スイッチのように、押した。そのとき彼はすでに全身真っ白になっていた。

世界に、歌が、鳴り響いた。神が、始まる、と言った。荒野はまだ、荒野であったが、その奥で、眠っていた種が、ようやく彼を許し、うごめき始めた。
彼は、薔薇の木のてっぺんで鐘のように叫んだ。

わたしよ!わたしよ!わたし自身の、わたしよ!

涙が彼の頬を激しく濡らしていた。彼は幸福に震えていた。彼は気付いたのだ。自分が存在していることに。そして、何が何であろうと、すべてをやっていける者が、自分であるということに。

そしてどれだけの間、彼は薔薇の木のてっぺんに立っていたのか。風がふと、彼に気付けと言った。そして彼は気付いた。そして、彼は、スクリーンの向こうから、こちらを見た。彼は、自分を見ていた人たちに気づいて、驚きのあまり、彼らを見回した。そして、「あなたたちは、誰だ?」と、スクリーンの前にいた上部人たちに、尋ねた。

上部人たちは、ほお!!と叫んだ。

スクリーンを出した上部人は、小杖を揺らし、金色の紋章を描き、それをスクリーンに投げ込んだ。とたんに、スクリーンは消えた。実験は、終わった。

「ほぅむ、じゅ、れ、なき」と彼は言った。それは「これは、一つの試みである。実験とは言ったが、まだはっきりとそう言うのには恥ずかしいもののある、物語のようなものである。魔法計算もまだかなり甘いと思う。しかしわたしはこれをひな形に、もっとさまざまな魔法計算を行い、一つの計画を練ろうと思う。もちろん、今のわたしの段階では、実際に全てがこの通りにできるとは思えないが、かなり、良い結果を生むことができるのではないかと、考えている」という意味だった。
すると、周りの上部人たちは顔を見合わせ、それぞれに、「ほむ」「んぬ」「てな」「ぃるぅ」とざわめいた。おもしろい、と彼らは感じたようだ。中には、自分も協力してみよう、という者もいた。

彼の実験は、首府に提出され、再びそこで試みられた。そして、しばしの間、長たちによって審査が行われ、いくらかの改善点を示されて戻ってきた。それを受け取った上部人は、「をぅ」と自分にささやいた。まだ学びが足らぬ、という意味だった。しかし、やってみるべし、という印は、確かに押されてあった。彼は、改善点を見直し、もう一度実験を行い、魔法計算にもっと深く踏み込むべく、新しく学びを始めた。師を請い、教えを願った。

彼はそれから、数人の仲間とともに、何度も実験をやり直し、種々の新しい知識と経験を得、魔法計算を繰り返し、物語を練り直した。そしてそれが、実際の魔法計画として首府に認められ、行われることが決まったとき、それは、大いなる神の御計画の物語の中の、数行の対話の結晶となって、一つの明るい光を放っていた。


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