慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
慈悲あまねく慈愛深き御方、
最後の審きの日の主宰者に。
クルアーン・開端章
☆
残念ながら、クルアーンにムハンマドの言葉はかけらも残ってはいない。これはムハンマドではなく、彼の後にいきた王たちがなしたものである。
故にその語句の中には、人間を思うままに支配したい馬鹿のエゴの隠喩にあふれている。
アクエンアテンの唱えたアテン神は、愛の隠喩だったが、クルアーンにあるアッラーの神は、実に、エゴの隠喩なのだ。人間を馬鹿にして、永遠に自分だけに隷属し奉仕するものにしたいという、馬鹿の永遠の願望が凝結したものなのである。
これははっきり言って、エホバ神よりひどいものなのだ。詐欺に等しい。
ユダヤの唯一神エホバは、人類の恐怖が生み出したものだった。だがアッラーは、強引にでも自分を一番偉いものにしたいという、ある人間の愚かな願いから発したものなのだ。馬鹿が、あふれるほど嘘をついている。なんでもしている。嫌なことなどとは考えてはいない。自分が偉くなるためには、どんなことをしても、何も呵責など感じない。
そういう人間が、一切をやったというものが、クルアーンというものなのだ。
故にこれを信じたものは、アッラーに絶対に支配されるのである。反逆することなど許されない。個人の思想や考えなど一切主張してはならない。絶対的な権力者の前には、ネズミのように小さくなり、馬鹿になり、芥子粒ほども価値のないものに成り下がり、なんでも言うことを聞かねばならないのだ。
テロリストというものは、実にこういう神の下に生まれた人種なのである。
人間といものを、完全に傀儡にできるからだ。
ムハンマドは、勇の天使だった。無学文盲だったが、高い愛と勇で人を導き、愛の理想を秘めた旗印として、唯一神アッラーを掲げた。だがそれを、のちの馬鹿な人間が、自分のエゴの欲望を保証する理屈として、大げさに偉いものにし、完全に意義をすり替えたのだ。
愛の下では、人は生き生きと自分らしく生きられるはずだ。だが、イスラームの世界では、それは実に難しい。常に、心を、アッラーに支配されるからだ。
誰もそれに逆らえない、永遠の独裁者だ。
このきつい誤謬は、必ず改められねばならない。