行こう 祖国の子らよ
栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の
血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の
残忍な敵兵の咆哮を?
奴らは我らの元に来て
我らの子と妻の 喉を掻き切る!
ラ・マルセイエーズ
☆
フランスの国歌である。国歌にしては随分と荒いね。元はフランス革命の時に流行った革命歌であるそうだ。
馬鹿にされた人民が、王に復讐するときの怨念に満ちていると言っていい。
民主主義が隆盛している今、フランス革命は高く美化されているが、実情は、市民の低級な復讐心から起こったと言ってよい。馬鹿な王様に支配されているのがほとほといやになったのだ。我慢の限界が来たのだが、それでも王制をひっくり返し、馬鹿が政権をとるよりは、まだ王様をあげて王制を保っていたほうがましなのだ。人民に統制がとれる。
フランスにとってあの難事を乗り超える最善の策は、ルイ16世を引退させ、適当な王を立ててそれを中心に周りを能臣で固め、フランスを立て直していくことだった。王制が倒れ、人民が政治を荒し始めれば、動物的なエゴが政治に影響することがもっと激しくみだらになる可能性があるからだ。
フランス人は、嫉妬に弱い。嫉妬というものに、ほかの国の人民より自分を抵抗させる力が弱い。ゆえに、人民は嫉妬の中に溶けるように集結し、馬鹿になったのだ。嫌なことなど考えなくていい。王様など馬鹿にしてしまえばいい。ほとんどそれだけだったのだ。国を何とかしていこうなどという美しい未来を考えている者はいなかった。
自由というものはまさに、この時代の人間の考え方からすれば、なんでも馬鹿にしていいのだという、動物的エゴの解放だったのだ。
それが時の利を得てついに国をとってしまった。それがフランス革命なのである。
革命が美しいものでなかったということは、そののちの恐怖政治からもわかる。嫌な奴は殺してしまえばいいという考えが、著しい血をそののちにも流した。ギロチンの露と化した人間たちを殺したのは一体誰なのか。ロベスピエールか。そうではない。馬鹿なのだ。何にもわからない、馬鹿なのだ。フランスはルイ16世を殺し、馬鹿に政治を渡したのである。
ナポレオンが出なければ、フランスは滅びていたのだ。
そして革命はアメリカにも渡り、そこで幻のように美しい自由の王国ができた。麗しい自由の女神は山のように巨大化した。しかしそれは幻影よりもむごい邪道の美化なのだ。
トランプは、まさに、フランス革命の直系の子孫なのである。