世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

恋のためだけに

2015-07-11 04:18:45 | 瑠璃の小部屋

恋のためだけに
生きてはいけないよ
恋は
エゴに染まっているから
愛の庭の中でしか
恋してはいけない

恋のためだけに
生きてはいけないよ
愛がなければ
たくさんの人が困るから
恋は
きみたちが
いちばんかわいいときに
花や光や鳥や希望で
いっぱいの愛らしいときに
みんなの幸せの中で
しなさい

恋のためだけに
生きてはいけないよ
恋をして
愛して
こころを感じたら
さあ ふたりで
手をつないで
愛の門をくぐろう

ふたりで
新しい 愛の庭を作るために
光を組み立てていこう

恋のためだけに
生きてはいけないよ



(詩島瑠璃詩集「カシオペア」より)





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日を浴びて

2015-07-10 04:04:14 | ちこりの花束

2002年3月ちこり24号表紙、切り絵





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ことば

2015-07-09 04:21:52 | ちこりの花束

 四十代に突入してみて、今思うのは、世界が違って見えるということ。
 花一つ、明かり一つ見るのに、今までとまるで違うように見えるのです。今日も、スーパーで買い物していて、売り場の上に並んでいる小さな緑のライトの列を見て、その美しさが魂に飛び込んできて、感動にそのまましばし動けなくなりました。息をするのも忘れました。そして時計のように規律正しく透明なリズムで、静かに心が歌い出すのです。それは大らかで広くて、澄み切った美しい肯定感の歌でした。
 人生は美しい。生きることは素晴らしいと。
 前にも言った通り、私は三十代の末ごろから辛い試練の時期に入りました。それは私にとって、一番苦手な分野で、最初はとても乗り越えられそうにないと思ったのですが、しかしここで自分を諦めてはならにと思い、出せないような根性も出して頑張りました。孤独の中で、真剣に神と対話する日が続きました。するとある日、思わぬところで、それまでの自分の殻が、がさっと脱げてしまったのです。こだわりの殻というべきものか。それがあってから、世界がまるで変わって見えるようになりました。
 若い頃の、小さくて妙なプライドが、乾いたクモの抜け殻のように、下の方でちっぽけに転がっていました。私は今まで何にこだわり、何と戦っていたのか。空はこんなに広く、愛に満ちていたのに。世界はこんなにも豊かで、美しかったのに。
 孔子が、四十にして惑わずと言ったのは、このことだったんでしょうか。腰が座り、自分が自分であることの光が、正しい位置にはめ込まれ、魂の奥にしかけられた水晶のからくりが正しく働き始めたという感じなのです。
 これが私なんだと。私が私自身である喜び。長所も短所も受け入れた、いえ、長所だの短所だのを飛び越えた所にある、真実の自己の光。私は今まで、それを奪われていたのです。時代にはびこる見えない呪いによって。その呪いは、「自分を信じてはならない」という呪い。
 だれが、いつ、それを言い始めたのか、わかりません。でも私は現代の魂の業病のようなこの呪いを、少しずつ溶かしていくために、これからの人生を生きていきたいと思います。
 ことばを、友として。


(2005年3月ちこり33号、編集後記)



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一つのカケ

2015-07-08 03:47:07 | ちこりの花束

 私がなつかしのマイケルチョコレートの当たりくじを集めていたのは、二十代前半の厳しい挫折の時期でした。
 大学を卒業して間もなく経験した、最も信頼していた人からの裏切り、そして職場でのいじめ……。世間の冷たさをイヤというほど味わっていた頃だったのです。どっちを向いても真っ暗で、一筋の光も見えなかった。そんなある日、好きだったマンガのキャラクターの入ったチョコレートを何げなく買った私の手に、ふと小さな当たりくじが舞い込んできたのです。
 パッケージには、この当たりくじを十枚集めると、マイケルスタンドが当たると書いてありました。そして、それから毎日、私はそのチョコレートを買い続けたのです。
 不思議なことに、毎日チョコレートを二個ずつ買っていると、そのうちの一個には必ず当たりくじがついていて、十枚の当たりくじはあっという間に集まってしまいました。二個に一個は当たりがついてるのかなとも思いましたが、近所の小学生の子は、いくつ買ってもちっとも集まらなかったそうです。
 その頃の私は、ボロボロに傷ついた心を奥に隠し、現実に愛想笑いをしながら、よたよたと生きていました。そして、そうしながら、誰も知らない心の奥で一つのカケをしていました。これから、もし、私の本当の望みが叶うのなら、この当たりくじを十枚、必ず集めることができる。必ず、必ず、集めることができる……。
 そして、あまりにも簡単に、それは集まってしまったのです。
 あれは、私の祈りの力だったのでしょうか。それとも、どんなに傷ついても、どんなに悲観的な状況でも、決して自分を諦めてはいなかった私の心を、誰かが見ていてくれたのでしょうか……。
 あれからもう十年以上が経ち、私の夢は今、少しずつ叶おうとしています。道は、思っていたほど順調ではなくて、壁や落とし穴がそこらじゅうにあったり、自分で自分をわなにかけてしまったり、いろんな失敗もありました。でもその分だけ、大きな心で人や世界を見ることができるようになった気がしています。
 たとえ、どんなに苦しいことが続いても、大丈夫です。皆さん、悲しまないで、笑ってください。チョコの当たりくじや、小さなガラスの箸置き、何げなく手に取った本。何にでも、希望は隠れているのです。宝探しのように、探してみてください。見つかるコツは、「必ず見つかる」と、明るく信じること。そして壁にぶつかった時は、素直に反省点を認める、柔らかな心と、知恵をもつことです。


(1999年3月ちこり15号、編集後記)






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みきちゃんと折り紙

2015-07-07 04:13:32 | 画集・ウェヌスたちよ

2001年頃、切り絵。





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サビク

2015-07-06 04:24:35 | デッサン・下描き
サビク
2013年

完成作品はこちら




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水底より・7

2015-07-05 05:09:57 | 月夜の考古学・本館

 だが、快い上昇感が、わたしの心を満たしたとき、不意に、わたしは激しい海流にまきこまれた。流れにもまれたわたしは洋子を見失い、狼狽して、そこらじゅうをめちゃくちゃに泳ぎ回った。光と闇が、方向感覚をなくしたわたしのまわりをぐるぐると回った。突然、重い体をもぎ取られるような衝撃を感じたかと思うと、わたしは一匹の巨大なエイの眼光の前に飛び出していた。
(ああ!)
 エイは鞭のようなそのヒレで、無情にわたしを突き飛ばした。そしてわたしは、再び、どこか暗い所へと落ちていった。

「……これ」
 不意に、声がして、わたしは目をあけた。あの白髪の老人が、眉間に深いしわをよせて、じっとわたしの顔をのぞきこんでいた。
 わたしは起き上がって、まわりを見回した。そこはもとの公園だった。
「やれやれ、生きとったか。あんた、頼むからこんな年寄りに死骸の掃除なんぞさせんでくれよ」
 老人のやわらかい声が、不意にわたしを現実に引き戻した。わたしは、彼をまじまじと見た。かすかに赤みをおびた東の空から射す光が、修行僧のようにぴんと背を伸ばした老人の姿を照らし出していた。その目は、さっき夢に見たエイの鋭い眼光に似ていた。と、そのとき、ある直感が、激しくわたしを鞭打った。わたしは弾けるように跳び起きると、まるで神に出会ったかのように、老人の前にひれ伏した。そして、泣き出さんばかりに声をはりあげて、言った。
「お願いです。わたしを助けてください!」
 老人は、いったい何事かと、驚いた眼でわたしを見た。わたし自身にも、わたしに何が起こったのか、わからなかった。
 何度も地面に額をすりつけながら、わたしは、今までの経歴や、現在の自分の惨めな状態や、たくさんの愚かな失敗をすべて吐き出した。そして、夕べ見た、幻のような出来事も、洋子という少女のことも、みんな話した。老人は、わたしを静かに見おろしながら、黙って聞いていた。
「……お願いです。わたしに教えてください。どうしたら、まっとうな人間として生きていけるのか、どうしたら、あの少女につぐないができるのか……。わたしは、そんなことを、今まで知りたいとも思わなかった。それが一番だいじなことだったのに。どうか、今からでも間に合うのなら、わたしを導いてください。どんなことでもやります。ドブさらいでも、ゴミひろいでも! ずうずうしいことだとは、十分にわかっています。でも、今のわたしには、だれも頼れる人がいないのです。お願いです、決して恩をあだで返すようなことはしません。お願いです……」
 老人は、厳しい目でわたしをじっと見ていた。眉間に刻まれたしわの間から、無言の審査がわたしにふりかかっているようにわたしは思った。わたしはもう、今の自分のすべてを、老人の前にさらけ出すしかなかった。それしかわたしには残っていなかった。他人からみれば、なんて恥知らずなまねをするんだと、思うことだろう。確かに、わたしは恥知らずだった。見知らぬ他人の助けを請わなければならないほどに、落ちぶれ果てていた。
 だが、何かが、わたしの中に、再び活力を呼び戻していた何かが、わたしに言っていた。わたしは、生きなければならないのだ。どんなに苦しくとも、惨めでも、ここで、この世界で、どしても、生きなければならないのだ。
 彼はしばらく黙って聞いていたが、やがて、ふうと短いため息をついた。わたしは顔をあげて、おずおずと老人の顔色をうかがった。
 老人は、不意に、例の立札に手を伸ばすと、それを無造作にぬきとり、ひざでぽきりと折った。わたしはふと、その立札に文字が何も書いてないことに気づいたが、いまはそんなことはどうでもよい。老人は立札を傍らのゴミ箱にほうり込むと、静かに言った。
「やれやれ、まあいいさ。ついてきなさい」
 わたしの目から、熱い涙が、滝のように溢れ出た。
「ありがとう……ありがとうございます……」
 地面に顔をつけて大声で泣いているわたしの肩を、老人がぽんとたたいた。
「さ、行こう」
 老人の言葉に、わたしは子供のように素直に、しゃくりあげながら立ち上がった。いや、わたしは子供だった。たった今、この世に生まれたばかりの赤ん坊だった。しなければならないことが、たくさんあった。それがどんなことなのか、まだ、まるでわたしにはわかっていなかったが。
 前を行く老人の背中を見つめながら、わたしはふらふらとではあったが、しっかりと地面を踏みしめながら歩いていった。やがて、一斉に、小鳥たちがさえずりはじめた。ばら色に染まった東の空から差し延べられた光が、優しくわたしの背中を押した。そしてわたしは、そのとき、わたしにとっての世界のすべてのものが、意味を変えていたことに、まだ気づいていなかった。

(おわり)



(1994年1月ちこり0号所収)




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水底より・6

2015-07-04 04:15:17 | 月夜の考古学・本館

 一度、どこで何を聞き付けてきたのか、洋子の母親がわたしの家に怒鳴り込んできたことがあった。洋子の母親は酒に酔っていて、訳のわからないことを言いたてながら、半狂乱でわたしの父に殴り掛かってきたという。わたしは二階の自室に閉じこもって、耳を伏せながら階下の騒ぎが行き過ぎるのを待った。母が電話で呼んだ警察官が彼女を引っ張っていった後、父がわたしの部屋に上がってきて、言った。
「まったく、ああいう輩は何を考えているのかわからん。試験も近い大事な時だというのに」
 こうして、わたしは、自分のついた嘘を守るために、それから、いっそう勉強にはげまなければならなくなった。
 洋子への罪悪感から逃げるために、父や母や教師の薄っぺらな愛情にすがり、それを少しでも多く獲得するために、中学校時代あいつも学年で五番以内を通し、県下で一番の進学高に入学し、首席で卒業し、一流大学に入った。
 わたしはもう、まわりの人間がわたしにおしつけるわたしの人格や将来を、こばむことはできなかった。そうしているうちに、わたしは、洋子のことを憎むようにすらなっていった。悪いのは洋子だ。洋子は、自分を、自分をかわいがってくれる父や母や先生から切り離そうとしたのだ。優等生という地位から、自分を引きずり落とそうとしたのだ。
そしてついに、わたしは、洋子の思い出を、わたしの心の奥深くに、追放した。狭い箱に押しこめ、鍵をかけて封印をし、重りをつけて、海の底に沈めた。何年も、何年もの間、わたしはそれに振り返りもしなかった。
 だが、大学を卒業して数年、今、わたしは、何もかも失って、独りこの公園のベンチに座っている。これは、罰だろうか? あのとき洋子を裏切ったわたしへの。だとしたら、わたしはもう抵抗すまい。たぶん、わたしは近いうちに死ぬだろう。この公園の片すみで、飢えて、あるいは凍えて死んでいるのを、あの毎朝掃除にきている老人が、見つけるだろう。父や母は、何と言うだろうか。あんなに期待していた自慢の息子の末路がこんなものだとわかったら、失望するだろうか。それとも、恥さらしだと言うだろうか。
 ああ、もう何も考えたくはない。洋子がいなくなってから、わたしはだれをも愛することはできなかった。父も母も、わたしでさえも……。わたしはいつも、からっぽだった。わたしの人生は、何にもならなかった。だがもう、それも終わるのだ。
 わたしの鼻先に、何か微かに触るものがあった。わたしがうっすらと目をあけると、それはさっきの透明な深海魚だった。たくさんの深海魚が、わたしのまわりを囲むようにして、地面の上をはうように泳いでいた。ふと気がつくと、わたしは、いつの間にかベンチからずり落ちて、地面の上に寝転んでいた。わたしは、深海魚たちの目的がわかって、うっすらと笑った。彼らはわたしが死ぬのを待っているのだ。死んで、わたしが単なる蛋白質の塊と化すのを、待っているのだ。
 静かだった。風の音さえ聞こえなかった。わたしは目をつぶった。無数の深海魚の微かな光は、残像も残さずにわたしの前から消えた。闇だけがわたしを抱いて横たわっていた。
 ふと、また、何かがわたしのほおに触れた。わたしはそれに気がつかないふりをした。だが、そうすると、それは何度もわたしのほおの上に積み重なってきた。わたしは、うるさい深海魚をふりはらおうと、目をあけてしびれかけた手をふり動かした。だが、そこにはもう深海魚は一匹もいなかった。
 そのときだった。小さな光る粒のようなものが、わたしの目の前にひらひらと落ちてきた。最初、それが何だか、わたしはわからなかった。わたしがぼんやりとそれを見つめていると、光るものは、次々に雪のように降りてくるのだった。わたしはそれを知っていた。闇夜の中でも、それはくっきりと紫色に光っていた。
(ああ……、あの花だ…)
 いつか見た紫色の花が、星をばらまいたように、わたしのまわりに降りしきっていた。わたしは目を上げた。
 そこは、海だった。暗い、静かな水が、遠い遙かな水面の上の微かな光の加減で、微妙に揺れ動いていた。わたしは、海の奥底で、小さな狭い泡の中に、子供の用にひざを抱いてうずくまっていた。半身は、微生物の降り積もった柔らかい砂の中に埋もれていた。花は、わたしのちょうど真上の水面のほうから、ひらひらと落ちては、泡のまわりに降り積もった。わたしは、花が降ってくるほうに、じっと目を凝らした。すると、はるか上の日のさす水面近くで、一匹の魚が、わたしの頭の上をぐるぐると泳いでいるのが、かすかに見えた。わたしは、もっとよく見ようと、さらに目を見開いた。そして、不意に、わたしにはそれがだれであるのかわかった。
(洋子……!)
 わたしは叫んだ。だけどそれは声にはならなかった。だが、魚は、何かに気がついたのか、いっそうはげしくぐるぐるまわった。魚が尾を振るたびに、紫の花がひらひらとそこから舞い降りた。わたしはもがいた。何とかして、水面の方に浮かび上がろうと、必死に手をふりまわした。だが、砂は、いつの間にかわたしの肩まで埋めようとしていた。わたしは砂から体をひきぬこうともがいた。だが、もがけばもがくほど、砂はわたしを奥深くまで引き込もうとする。
突然、わたしを守っていた泡が、ぱちんとはじけた。刃物のように冷たい水が、わたしの顔に、目に、口に、一斉に流れこんできた。わたしの肺の中にあった空気が、ごぼごぼと音をたてながら無数の小さな泡の粒になって、上っていく。わたしはあえいだ。息を閉ざされた生き物の苦しみが、わたしの全身をびりびりと電気のように走った。
(洋子! 洋子!)
 わたしは叫ぼうとした。だが、その声は、力ない泡になって喉元で、消えていった。わたしは、水中にのばしたわたしの手を見た。すると毛穴という毛穴から、無数の細かい泡がふきだしていた。そして泡がわたしから離れて上に上っていくたびに、まるで、コップの底で溶けていく錠剤のように、わたしの手が溶けていった。
(ああ……)
 わたしは、なかば骨になったわたしの手を見ながら、目を閉じた。もう、これでいいのだと、思った。そしてわたしは、すべてを受け入れた。わたしの罪も、わたしの愚かさも、わたしの運命も。わたしがこの世から消えていなくなれば、すべては帳消しだろうかと、そう思った。洋子も許してくれるだろうか。すぐそばで、骨の最後の一かけらが、かすかに音をたてて崩れた。海の闇が、わたしを飲み込んだ。わたしはもう動かなかった。
 だが、どうしたことだろう。また、やわらかい花の感触が、わたしの胸にふれた。それは、かすかな痛みになって、わたしの中に小さなフィラメントのように一瞬光をはなった。
 わたしは目をあけた。もう、そこには、どこにも、わたしはいなかった。わたしの手も、足も、髪も、顔も、すべて泡になって消えていた。だが、確かに、わたしはまだここにいた。この深い海の底に、つなぎとめられたように、動けないでいた。
 冷たく動かない海底の水が、不意に、揺れた。それは、鈴のような少女の笑い声だった。はっと、わたしの中に、あり光明がひらめいた。
 わたしは死んだ。わたしはすべてを失ってしまった。ならば、ここから浮かび上がって、洋子の待っているあの水面に上って行くのは、簡単なことではないのか?
 そう思ったとたん、わたしは、まるで、何かに引っ張られるように、一直線に水面に向かってのぼっていった。わたしは上を見た。遙か上で、柔らかい光に包まれて、一匹の魚が、うれしそうに水面をかきまわしていた。
(洋子…洋子……!)
 暖かい涙が、わたしの中にあふれてくるのを、わたしは感じた。光がわたしをやわらかく包み、冷たくなっていたわたしをゆっくりと暖めた。もう少しだ。もう少しで、洋子の顔が見える。洋子の手が、わたしをつかまえてくれる。光はどんどんまぶしくなり、水は次第に軽く柔らかくなっていく。

(つづく)




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水底より・5

2015-07-03 03:42:26 | 月夜の考古学・本館

 だが、そんな幻想は、文字通り、泡のように消えてなくなった。山のふもとで洋子とわかれ、家に帰ったとき、私を待っていたのは不機嫌な母の顔だった。わたしは、そのとき持っていた知恵の限りをつくして言い訳をした。塾に行く途中で腹が痛くなり、学校の中庭の芝生で休んでいた。そしたら、いつの間にか眠ってしまって、気がついたら夕方だった、と。母は、うさん臭げな顔でわたしを見ていたが、それまで、わたしが嘘をついたことはほとんどなかったこともあって、なんとか納得してくれた。これで、もう何も、問題はないのだと、そのときは思っていた。
 事件は、その次の日に起こった。その朝、わたしが教室に入ってきたとき、くすくすという女子生徒の笑い声が真っ先にわたしを迎えた。彼女らは、わたしのほうをちらちらと横目で見ながら、意味ありげにひそひそ話をしていた。
 わたしがいぶかしげにそちらを見ながら、自分の席に向かおうとしたとき、ふと、南側の一番後ろの席で、洋子が、五、六人の女子に囲まれて泣いているのに気がついた。何だかいやな予感がした。
「やい! さぼり!!」
 突然、後ろから誰かが声を投げつけてきた。その声は、わたしと同じ塾に通っている男子生徒のものだった。わたしは、はっと振り向いた。そのとき、黒板に書かれた大きな落書きが目に入った。
 それは、大きな傘の下に二人の男女の名前を書く、よくあり落書きだった。それを見たとき、わたしは、さっと自分の顔に火が走るのを感じた。昨日、山から二人で降りてきたところを、だれかに見られたに違いなかった。洋子とわたしの名前のまわりには、赤いハートがしつこい蠅のようにたくさん書かれてあった。
「だれだよ! こんな……」
 わたしは、うろたえながらも、教壇に上って黒板の落書きをごしごしと消した。すると、まわりが一斉に騒ぎ出した。
「秀才もさ、やっぱり塾より女のほうがいいんだってよ」
「ふたりでデートかよぉ」
「洋子、美人だもんな。頭はわりいけど」
「あっつい、あっつい」
「いやらしーい」
 わたしを無視して勝手に騒ぎ立てているやつらの前で、わたしはしばらくどうすることもできず、立ち尽くしていた。ふと、後ろからだれかがわたしの肩を押した。振り向くとそこには、相撲取りのように大きな男子生徒が立っていた。こいつは早熟なだけの弱虫で、女生徒ばかりをいじめるクラスの嫌われ者だった。いつもは相手が男子だと引っ込んで何も言わないのに、今日に限ってそいつはわたしにつっかかってきた。
「おまえよお。山で何してたんだよ」
「な、何って、なんだよ……」
「女とふたりでよお」
「……」
 そいつは、子供とは思えない不潔な笑い方をしてわたしを見た。わたしは顔にかっと日がつくのを感じた。握りこぶしがぶるぶるとふるえた。わたしはそいつをにらみ返したが、どう反撃していいかわからず、唇をかみしめていた。
 ふと周りを見ると、クラスのやつらはみんな、何かを期待しているように、にやにやと笑いながらわたしの方を見ていた。洋子は、うつむいて、肩をふるわせていた。
 一瞬、少女のために勇敢に戦う男の姿が、わたしに重なった。洋子を守れるのはわたししかいない。勇気をふりしぼって、この下劣なやつらから洋子を救いだすのだ。
 だが、それは次の瞬間、自分が、父や母や教師に期待されている優等生なのだという考えに、押しのけられた。
 そんな自分を捨ててまで戦う価値が、洋子にあるのか? 洋子の母親がどんな仕事をしているか、知らないものはいないというのに。クラスの皆に、洋子と同類と思われたっていいのか?
「な、何もしてないよ…」
 じりじりと後ろに下がりながら、わたしは言った。
「うそつけ、不良め」
 そいつはわたしの胸をどんと押した。わたしはよろよろとその場に尻もちをついた。わたしは半泣きになりながら言った。
「不良じゃない、ぼ、ぼくは……」
「塾さぼるやつが、優等生かよ!」
「ち、ちがう……」
「やあい、先生に言ってやろ! 優等生が塾さぼった!」
 だれかが言った言葉を皆が次々に引き受けて、やがてっ暮らす全体が合唱してわたしを責め始めた。
「さあぼった、さあぼった、優等生が、さあぼった!」
 わたしは心の中がぐちゃぐちゃになって、何が何だかわからなくなった。洋子が必死になって、「やめて! やめて!」と叫んでいるのが耳に入った。だが、気がつくとわたしは、気ちがいのような声で叫んでいた。
「違う! ぼくが悪いんじゃない。洋子がぼくを誘ったんだ、洋子が塾をさぼれって言ったんだ!」
 瞬間、あたりは水をうったように静かになった。
 わたしは、弱虫だった。卑怯者だった。わたしは、自分の周りにあった世界が壊れるのを、恐れていた。父や母や教師にちやほやされる今の境遇から、クラスのみんなに優越感にひたれる今の境遇から、追放されるのが、何より怖かった。
 自分の言ったことに気づいたわたしは、はっと、洋子のほうをふり向いた。洋子の見開かれた黒い瞳が、ガラスのように凍りついて、わたしは見ていた。わたしは目をそらした。
「やっぱりな、洋子は××××の子供だもんな」
 だれかが、言ってはいけな言葉を口にした。再び教室中ががたがた揺れ始めて、今度は洋子を責め始めた。
 分別を知らない子供たちの中傷や誹謗は、時には大人よりもたちが悪いことがあった。もちろん、その後ろには、世間体というオブラートにつつまれた大人たちの世界も隠れていた。洋子は、社会という地盤の、一番弱い所に立っている贖罪の山羊だった。本当は皆、わたしの言ったことが事実でないということを、うすうす分かっていたに違いない。けれど皆にとっては、わたしよりは洋子の方がずっといじめやすかったのだ。ガラス人形のように弱く、いつもみなと少しずれた世界にいる、異分子の方が。
 がたんと、椅子が大きな音をたてて倒れた。わたしの肩がびくりと動いた。顔を上げると、洋子が泣きながら教室を走り出ていくのが見えた。わたしは動けなかった。だれかがわたしの頭越しに、聞えよがしの大声で言った。
「だからいやなのよね、あの子。このままどっかに消えちゃえばいいのに」
 その言葉が、真実になるとは、そのとき誰も思わなかった。洋子は、もう二度と、わたしたちの前には帰っては来なかったのだ。
 南側の隅っこの洋子の席が空いたまま、数週間が過ぎた。その間、わたしは洋子の失踪について様々の噂を聞いた。夜遅く帰って来た洋子の母親が、娘がいないことに驚き、警察に届けたのは翌日の朝だった。洋子の姿を最後に見たのは、学校の裏に住んでいるご隠居さんだった。どうやら洋子はあの日、学校の裏門から飛び出して、あの山の方に走って行ったらしい。そう言えば最近、不審な車があの辺をうろついていた……。
 ご隠居さんの証言を元に、大勢の警察官が裏山を探し回ったが、洋子は見つからなかった。
 そして、ある日体育館に全校生徒が集められ、校長が行方不明の女生徒の話をした。六年一組の女の子に、不幸なことが起こりました、……みなさんも、あやしい車を見かけたら、すぐに連絡を……、これから皆できるだけ集団登下校をするように……。
 クラスのみんなは、だれも顔をあげなかった。わざとらしいすすり泣きをあげる女子が数人いた。わたしは、まるで、深い海底に独り沈んでいるかのように、ぱくぱくと口だけ動いている校長先生の顔を、ぼんやりと見ていた。
 わたしは、何かが、わたしの中で壊れたのを知った。そして嘘だけが、わたしのもとに残された。

(つづく)




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水底より・4

2015-07-02 03:52:05 | 月夜の考古学・本館

 それは、夏休みが明けたばかりの、九月の明るい晴れた日曜日のことだった。見上げると、もつれあった生糸のような白い雲が、空の青色に染み入るようにぼやけながら風に沿って流れ、まだ夏の名残をとどめた日差しが、木々のこずえの向こうから、ちらちらと輝いていた。ヒグラシが、去って行く夏を悲しんで、寂しげに鳴いていた。
 わたしは、何かに気持ちをぶつけるように自転車のペダルをめちゃくちゃにこいで、傾斜角の急な道を上った。そして、舗装された道が終わっているところで、自転車と参考書やノートを入れた手提げ袋を捨て、細い山道を歩きだした。
 息を切らして歩きながら、わたしは背後をひたひたと濡らす後悔の念に、できるだけ気づかないふりをしていた。今さら引き返しても遅い。たどり着くころにはもう塾は終わっているだろう。父や母の怒る顔や、教師の失望の表情が、わたしの脳裏にふと浮かんだが、わたしはそのまま歩き続けた。
 だが、そんなわたしの暗い気分も、丘のてっぺんの、見晴らしのいい草原に出たとき、いっぺんに吹き飛んでしまった。そこには、木は一本もなく、青い草が一面に生えていた。草原の向こうには、山のふもとに掃き集められたようなモザイク模様の町が見え、その向こうには遠くかすんだ海があり、その海と、青く澄んだ空との間に、かすかに弓形の水平線がぼやけていた。わたしが、風景に見とれながら草の上を歩いていると、ふと、草の間に埋もれるように咲いている印象的な紫色をした花に出会った。その色は、まるで、痛い目薬のように、わたしの角膜に差しこまれた。
 そうだ、これを洋子にあげよう。
 わたしは突然そう思って、しゃがみこんで花に手を伸ばした。けれど茎を折ろうとして、花のやわらかさに触れたとたん、それができなくなった。なぜかはわからないが、わたしはその時、至極幸福な気分だった。今の自分なら、どんな人間にだってやさしくできるだろう。どんなことだって、してやれるだろう。その人のためなら。洋子のためなら。そうだ。洋子がここにいたら、こんどこそ正直に、思いを打ち明けよう。友達になってくださいって、言おう。
 洋子の声が聞こえたのは、そのときだった。
「ここは海の底なのよ」
 はっと、声の方に顔を上げると、いつからそこにいたのか、洋子が草の中に座って、わたしを見ていた。黒髪が風に踊り、つるつるの瞳が、恥ずかしそうに笑っていた。わたしも笑いかけた。何か、正体のわからない不思議な力が、わたしの奥からじわじわと湧いてきて、わたしを満たし始めた。わたしは、すいと腰を伸ばすと、それまでのわたしでは考えられないような勇気を持って、彼女に話しかけた。
「海の底って…?」
 洋子は、澄んだ声で、少しはにかみながら、言った。
「立ったらだめよ。泡が壊れちゃうの。ここはね、深い、深い、海の底なのよ。わたしたちはね、ふわふわした泡の中に閉じこもって、海の底から、海面を見上げているの。魚がたくさん、泳いでいるのよ」
 わたしは、しばしあっけにとられて、彼女の顔を見つめていた。だけどすぐ、これは洋子の考え出した独り遊びだと気がついて、話をあわせた。
「そうか、ごめん、じゃ、ぼくも座るよ」
 わたしは、柔らかい泡を壊さないような、ゆっくりとした動作で、彼女の隣に座った。洋子は、そんなわたしの積極的な態度にちょっと驚いたようだったが、黙ってわたしが隣に座るのを許した。心臓が、どきどきと、痛むくらい鳴った。すぐそばに、洋子の白い笑顔があった。彼女の息の音が、間近に聞こえた。わたしは、自分でも、自分のふるまいに驚いていた。
 一陣の風が、さやさやと草原をなで、わたしたちに吹き付けた。
「海の底にも、風が吹くんだね」
「これは海流よ。この海は、空気みたいに透明で、軽い水でできてるのよ。だから海流が風に見えるのよ」
「…ふうん」
 不思議な時間だった。それまで、一度も言葉をかわしたことなどなかったのに、わたしと洋子は、小さなときからお互いに知り合っているように、山のてっぺんの草の上に座って、空想遊びをした。空も風も、みんな澄んで、輝いて、魔法のように新しく、美しかった。わたしたちは、雲や、鳥や、下に見える町を、クジラや、サメや、サンゴやフジツボに見たてた。空は遠い遙かな水面だった。雲は水面を漂う白い流れ藻だった。洋子は、水面の向こうには、見たこともないきれいな星の世界があると言った。わたしは、森や、草や、獣や、家や、人のいる、陸があると言った。すると洋子は、そっちんほうがいいね、と言って笑った。
 今思えば、あれは、孤独だった洋子の、ただ一つ、心が安らぐ遊びだったのではないだろうか。彼女は、苦しいことばかりある現実から逃げて、美しい空想の中にのみ、救いを見いだしていたのかもしれない。そしてわたしは、そんな洋子の空想の中に、突然現れた、初めての他人だったのかもしれない。彼女が、わたしを見て、どうして逃げ出さずに、自分の空想の泡の中に招きいれてくれたのか、わたしにはもうわからないが。
 ふと、洋子が、黙った。わたしは、いったいどうしたのかと、洋子のほうを見た。洋子は、ひざを抱いて、草を見つめながら、何かを考えているようだった。少しの間、風の音だけがわたしたちを囲んでいた。
「ねえ、さっき、何で花を見てたの?」
 突然、洋子が言った。
「え? 別に……何も……」
 わたしは、もぐもぐと口ごもった。すると、見る間にかのじょの目に涙がたまってきた。わたしはあわてた。何で泣くんだろう? 何も悪いことはしてないはずなのに。だけど洋子の涙は見る間に膨らんで、ひざの上にぽたぽたと落ちた。わたしはどうしたらいいかわからず、まわりをきょろきょろと見回した。すると、さっきの紫の花が、少し離れたところで、わたしに語りかけるように風にゆれているのが目に入った。わたしは言った。
「見てよ、あんなとこに、サンゴが咲いてる!」
 洋子は顔をあげた。わたしは、何とかして、彼女に笑ってもらいたかった。だから、命をかけた無謀な冒険を、彼女に申し出た。
「ぼく、あれを取ってきてやるよ」
「え? でもあぶないよ。泡がこわれちゃうよ」
「静かに出ればこわれないさ」
「でも、遠いよ。息が続かなかったら、どうするの?」
「大丈夫だよ」
 そう言って、わたしは、用心深く、薄っぺらな泡の壁をこわさないように、ゆっくり、ゆっくり、後ろ向きに歩いた。そして、手足が全部泡の外に出て、顔だけが残っているとき、ゆっくり深呼吸して、肺にいっぱい空気をためた。そして、冷たい透明な水の中を、潜水夫のようにぷよぷよと泳ぎながら、花に近づき、それを手折った。
 再び、泡の中に戻ってきたとき、洋子は心配そうにわたしを見た。涙はもうほとんど乾いていた。わたしは、やった、と思った。
「だいじょうぶ?」
「うん」
 肩でおおげさに息をしながら、わたしはうれしそうに言った。そして、紫の花を彼女に差し出した。洋子は、自信に満ちたわたしの顔を不思議そうに見上げながら、おずおずと受け取った。そして花を見つめながら、言った。
「……きれいね。何だか、光ってるみたい」
「深海に咲くサンゴだあら、光るんだ」
 洋子の顔が、わたしを見て、笑った。そのとき、まるでわたしは太陽がもう一つ増えたかのように、まわりの世界が明るくなったように感じた。胸がじんじんとしびれていた。このままじっとしていると、本当に洋子を抱きしめてしまいそうだった。
「あ、ほら、見て!」
 その時、急に、彼女が空をさして言った。
「エイよ! ほら、泳いでる!」
 わたしは空を見た。そして、はっと、息を飲んだ。菱形の巨大な体をゆらめかせながら、一匹のエイが、わたしたちの頭の上を、ゆっくりと、音もなく、泳いでいた。
 あきれるほど、静かな明るい空だった。わたしたちは、言葉も、思いも失って、呆然と、それを見上げていた。エイは、やがてゆっくりと透け始め、水色の空の中に溶けていった。
 それが、一体何だったのか、わたしは今もわからない。幻だったのか、空想を、勝手に実際に見たと勘違いしたのか。だけど、これだけは確かだ。わたしは、そのとき、洋子と、同じものを見、同じ心で感じていたのだ。深い深い海の底の、誰も知らない二人だけの泡の中で、わたしたちは、ひととき、同じ魂を共有したのだ。

(つづく)




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