私が小さいころには門付けしてお金を要求する乞食がいた。
ただ単に汚いかっこうで来る乞食が多かった。親は鬱陶しいので10円をやって追い返していた。
虚無僧という乞食もあった。深編み笠をかぶって尺八を吹いていた。
托鉢を装った乞食もあった。これは今でも見かける。編み笠と僧衣で鐘をならしながら街に立っているアレである。本物の修行僧は、あんなことはしない。それが昔は門付けしていたのである。
印象的な乞食で、マンドリンを門付けして弾くお爺さんがいた。なかなかの腕前なので、子供の私には興味津津だった。
その乞食は年に2回くらい来た。私は楽しく演奏を聴いた。ある時、その人が腰にぶら下げていたリラ(鉄琴)を奏いた。子供の私の耳にはすばらしかった。
そのお爺さんに、「また来てね」と幼い私は言った。
ただ単に汚いかっこうで来る乞食が多かった。親は鬱陶しいので10円をやって追い返していた。
虚無僧という乞食もあった。深編み笠をかぶって尺八を吹いていた。
托鉢を装った乞食もあった。これは今でも見かける。編み笠と僧衣で鐘をならしながら街に立っているアレである。本物の修行僧は、あんなことはしない。それが昔は門付けしていたのである。
印象的な乞食で、マンドリンを門付けして弾くお爺さんがいた。なかなかの腕前なので、子供の私には興味津津だった。
その乞食は年に2回くらい来た。私は楽しく演奏を聴いた。ある時、その人が腰にぶら下げていたリラ(鉄琴)を奏いた。子供の私の耳にはすばらしかった。
そのお爺さんに、「また来てね」と幼い私は言った。