(エルサレムの風景。ウィキペディアより引用。)
イスラム教のアッラーとは「神」の固有名詞ではなく、神そのもののことらしい。そのため、ユダヤ教の神もキリスト教の神も同一物である。
その同一物である神の教えをアラビア語で著したのがコーランである。したがって、コーランはあくまでもアラビア語でなくてはならず、コーランは翻訳不能なのである。(翻訳してしまうと、それはもはやコーランではなくなる。)
この3宗教の神は同一だから、3宗教の聖地がエルサレムであることは歴史の必然であり、別々の3宗教が互いに聖地を争っているいるわけではないらしい。
以上はNHKの高校講座で知った。NHKの高校講座はけっこう面白い。
別の情報源だが、有名なハラルすなわち調理の仕方にイスラム教は敏感である。これは根拠がないことではないらしい。衛生状態が未熟だった過去において、羊のさばき方などを衛生的に行う仕方がコーランに書いてあるだけのようだ。
(豚はどうさばいても衛生的ではなかったらしい。酒がダメなのは現在でも通用する。)
すなわちコーランには当時の生活の知恵が書いてある。それをきちんと守れば衛生的な生活が送れるのだ。意外にもコーランには、日常生活の(当時としては)合理的な教えがたくさん書いてあるようである。
※今日の短歌
短歌の先輩えがたき君を友として長き電話の明日よりは無し
西井京子(明日香)