(破壊される前のバーミヤンの石仏。高野山法徳寺のHPより引用。)
佐世保市では過去に少年少女による殺人事件があったため、「命は尊い」という教育にことさら力を入れてきました。にもかかわらず、今回の殺人事件です。佐世保市の教育者は途方に暮れているそうです。
命は尊いという当たり前のことを、しいて学校で教育することは有効かどうか、考えてみましょう。
人間には破壊衝動があります。平時でも少数の者は破壊を行います。その際、破壊する対象がつまらないものであっては破壊する意味がありません。なるべく大事なものを破壊した方が、破壊衝動を満足させることができます。
破壊されたバーミヤンの石仏は世界遺産でした。バーミヤンの石仏が、どこにでもあるつまらない石仏だったら、かえって破壊されなかったでしょう。世界遺産に祭り上げられたことが破壊を招いたとさえ言えるでしょう。
国内のもっと卑近な例で言うと、国宝の寺の壁に落書きされることがあります。落書きの犯人は、それが普通の道路だったり倉庫の壁だったりしたら、落書きをしなかったかもしれません。大事な国宝だから破壊衝動が刺激されて、落書きをしたのではないでしょうか?
こうした破壊衝動の特徴にかんがみれば、少数の破壊者にとって皆が大切にしているものほど破壊の対象になりやすくなります。
つまり、学校で「命は尊い」、「命は大切」と教育すればするほど、命は少数の破壊者にとって魅力的な破壊対象になるとは言えないでしょうか?したがって、「命は尊い」という教育は少数の破壊者に対しては逆効果となります。
以上はかなり強引な説明かも知れません。でも、これらは100%誤まった議論ではなく、一抹の真実が含まれていることを、感じとってはいただけないでしょうか?