院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

八丈島探訪記その1(なかなか行けなかった島)

2014-01-22 06:14:33 | レジャー
 伊豆七島の一つ八丈島がクローズアップされたのは私が中学生のころ、すなわち1965年辺りである。

 高度経済成長が進んで、庶民も自家用車を持てるようになった。それまで旅行と言えば会社の団体旅行程度しか行けなかったのだが、なんとか近場の家族旅行ができるくらいにまでに豊かになった。

 だが、海外旅行はまだ制限されており(円を海外に持ち出さないないためだ)、為替レートも1ドル360円に固定されていた。そんなころ八丈島は日本のハワイとして脚光を浴びた。

 中学生の私は、自分もいずれ八丈島に行くことがあるだろうと漠然と考えていた。八丈島と言えば、当時は島流しの島くらいの認識しかなかったのだが・・。

 そのころ都はるみの『あんこ椿は恋の花』という歌謡曲が大ヒットしていた。「あんこ」とは「大島あんこ」といって、伊豆大島の若い女性のことで、本土の者にとって「大島あんこ」は十分にエキゾチックな存在だった。大島独特の風俗があり、椿油は大島の名産だった。「大島あんこ」の多くが椿の栽培に従事していた。それらを知らないと『あんこ椿は恋の花』という歌は理解できない。(「あんこ」は「あのこ」の訛り。)

 この歌は遠距離恋愛の歌であり、その上、「大島あんこ」が本土の男性に恋をするという、片想いの国際恋愛にも似た歌なのだ。当時、伊豆大島には船でしか行けなかった。だからこの歌は「3日遅れの便りを乗せて」船が本土へ行き、「いくら呼んでも貴方は遠い」ので、「片便り」(返事がない)なのである。

 だから、もっと向こうの八丈島はほとんど外国のようなもので、本土からは観光客が繰り出した。それにより、ただの離島で黄八丈という織物でしか知られていなかった八丈島は、大いに活況を呈するようになった。

 あれから50年、いつか行けるだろうと考えていた八丈島に、やっと行けた。

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