
(朝日新聞電子版より引用。)
やなせたかしさんは、すでに私が高校生のころ漫画ファンの間では有名だった。『漫画家になる方法』という題名だったかは忘れたが、そのような本を出していた。虫プロの漫画雑誌『COM』に私は一コマ漫画を投稿して、しばしば入賞し、1席になったこともあったから、漫画家になることを少しは考えていたのかもしれない。やなせさんの本を買って読んだのだ。
その本の内容で私が覚えているのは「デビューするなら一流誌からにせよ」という忠告である。三流誌からデビューすると絵が荒れるとあったので、なるほど多分そうだろうと納得した。
同じころ、週刊朝日が見開き半ページに使用する10コマ漫画を一般公募した。私も応募したかったが、大学受験を控え、それどころではなかった。けっきょく週刊朝日に採用されたのは、やなせさんの「ボウ氏」という作品で、それが連載された。
プロなのに素人に混じって一般公募に応募するのかぁと、やなせさんのハングリー精神に脱帽した。
「ボウ氏」とは「某氏」と「帽子」をかけたもので、主人公が首まで帽子をかぶっていて顔が見えず、確かセリフがなかったように記憶する。シュールで上品な作品だった。けっこう新鮮で面白かった。
以来、やなせさんはヒューマニズムあふれる作品を描き続け、その姿勢を崩すことはなかった。それがアンパンマンまで続いてきたのだ。
アンパンマンは有名すぎるので、私があれこれ書くまでもないだろう。やなせたかしさんのご逝去にあたり、思い出したことを書いてみた次第。
やなせたかしさんは、孫が大好きなアンパンマンのイメージが強いですが、私には、記憶が薄れてしまいましたが、詩で感動した覚えがあります。あたたかい心に沁みる詩だったと思います。
やなせたかしは、巨星でした。ご冥福をお祈りします。
「手のひら太陽を」はあまりに有名ですね。
やなせたかしさんは漫画や詩で「絶望」や「汚辱」を語りませんでした。
ともすると「おりこうさん」、「優等生」過ぎると思われてしまいそうですが、やなせさんには筋が一本通っていたと思います。
上の記事でご紹介した本には確か(漫画を描くなら)「それは夢だった法」や「おしっこウンコはなくそ法」はいけないと書いてありました。
ご自分の振る舞いに自覚的な方でした。