(第一次視覚野。ウィキペディアより引用)。
網膜に映った像は、脳内の複雑な過程を経て後頭葉の視覚野にマッピングされる。そのため後頭葉に損傷があると像が正しく見えない。
それでは後頭葉に結ばれた像を見ているのは誰か?と問うたのは、確か数学者の小平邦彦である。
この「熱い」「痛い」「おいしい」etc.・・と感じる主体を、心理学では「自我」という。哲学的な厳密さを求める立場の人たちは「自己」と呼ぶ。「自己」は「他者」の存在を前提とした概念である。
私の精神医学の恩師、木村敏先生は、統合失調症の基本障害(すべての症状がそこから出てくる根本)を「自己の自己性の障害」と考えている(と私は思う)。先生は、自己と他者がそこから分離して出てくる「場所」に注目し、そこを「間」(あいだ)と名づけた。
西田幾多郎の流れを汲むこうした思想は西洋にはなく、最近の先生は日本よりむしろフランスで人気がある。
※私の俳句(秋)
敬老会らし半吊りの秋すだれ