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院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「見立ての句」は、やはりいけない

2014-03-10 06:08:33 | 俳句
 「松を剪定した。松もさっぱりして気持ちがよいことだろう」という言い方があるが、松が気持ちがよいと感じるはずがないので、例えば次のような句は「見立ての句」といって俳句としてはアウトである。

  松手入れ松は気持ちがよささうに

 だが、私が所属する名古屋の俳句結社では、人ではなくモノを主語にするケースが見かけられる。へたをすると「見立ての句」になってしまう。次の俳句を昨日詠んだ。たいした俳句ではないが・・。

  風車群河津ざくらを足下に見

 この句は「風車群」が「河津ざくら」を見ているようにも読める。だが、主語は私とも読めるので、ぎりぎりセーフか?


(渥美半島蔵王山から見た発電風車群。)

 昨日の中日新聞愛知県版の俳句欄に次の句が採用されていた。

  紅白の鯉春の水たのしめり M.S.

 これは鯉が楽しんでいると作者が思い入れしているから、アウトだと思う。さらに言えば、季語「春の水」は「雪解水」を意味を内包しており、季語「寒の水」よりは暖かいが、季語「水ぬるむ」よりは冬の厳しさが残る。季語が妥当かどうかは微妙。助詞を省きすぎの感も。

 虚子は思い入れを嫌って「客観写生」を強調した。「客観写生」でありながら、心情が分かる句が最上である。それを私は「主観写生」と呼んだことがある。(2012-09-20)

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