(鰻の蒲焼。ウィキペディアより引用。)
名古屋の大学から浜松の赴任になって少しい喜んだ。当時、浜松は日本一のウナギの養殖地だったからだ。しゅっちゅうウナギの蒲焼が食べられるだろうと。
名古屋の蒲焼には「蒸し」がない。結果、いかにも魚を食べている感覚になる。浜松は蒸すだろうと思っていた。注文が入ってから裂いて蒸す。たっぷり1時間はかかる。待っている間は香子で一杯やるのがよいのだ。
ところが浜松も蒸さないのでがっかりした。関東は蒸す。境界はどこにあるのだろうか?蒸さない蒲焼はいかにも「魚」という感じがする。
私はいまでも蒸した鰻で、箸で抵抗なく蒲焼を切れるのが好きだ。
※今日の俳句(夏)
病室へ土曜鰻の御用聞
開田華羽
ウナギの話をする前に、ちょっとだけレタスの話をしておく。
十月の二度の台風の影響で、キャベツやレタスが高騰していたが、今週になって上げ止まったようだ。レタスと言えば、ノーベル賞作家スタインベックの『エデンの東』を思い出す。小説の第四部は、エリア・カザンによって映画化もされている。
この第四部で、主人公キャルの父親アダムが、豊かなカリフォルニアの台地でレタスの大量生産に成功する。父親はこのレタスを西海岸から人口の集中していた東海岸に列車輸送することを思いつく。氷で冷蔵して送り届けるというアイディアだ。
上坂冬子によれば、このストーリーの背景には、東部へのレタス輸送事業で巨万の富を得、カリフォルニアのレタス王とまで言われた、ある日系移民の実話があるのだという。
小説では、この輸送列車が、雪崩によって運行を阻止され、氷が溶けて、貨物列車に積んだレタスが全て腐り、大事業が頓挫するという設定になっている。現代に至るまで解決できていない文明の脆弱性だ。
レタス、キャベツと言えば、結球野菜の代表だ。巷では不可欠の基本食材だが、保存性に優れず、又、天候の影響も受けやすく、需給バランスの崩壊で価格は一夜にして高騰し一夜にして暴落する。大量生産、流通機構、相場、情報通信網という化け物によって支えられる現代世界の脆弱性が如実にあらわれる場面だ。
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さて、台風の被害があっても台地はビクともしない。時がたてばキャベツもレタスも復活する。しかし、今世紀に入るも、ウナギは復活していない。稚魚(シラスウナギ)の極端な不漁が原因だが、よく考えてみるとそれは人間の勝手な理屈であって、我々がウナギへの欲望を捨てれば、そもそも、需給バランスの極端なインバランス状態など存在しない。そうだ院長先生みたいな人が原因なのだ。(笑)
1960年ごろは200トン前後あったという(毎日新聞)。国内の漁獲量はその後急減しはじめる。11月から4月がシラスウナギの漁期だが、今年は去年の同時期と比べてわずか1%しか獲れていないのだそうだ。蒲焼だ白焼きだなんて言っている状況ではない。
私の記憶の範囲では、庶民的なウナ丼が¥980- ぐらいで推移していたものが、バブル期を過ぎて、¥2000-を越え始め、私の街の目抜き通りの老舗(浅羽屋)がまず店をたたむ。鰻重はあきらめても、鰻丼ならと通っていた庶民的底辺層が食べに行かなくなった為である。そして、一昨年の夏ごろだったか、やはり老舗で地元の注文が多かった店(鰻豊)も営業を諦めて、店は廃屋状態になっている。
いま、鎌倉駅前で残っている老舗の専門店は昭和六年創業の「茅木家」一軒のみ。
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母の兄弟姉妹は、市川市の育ちだが、祖父の経営していた貿易会社が日本橋界隈にあったことから、一時期、日本橋を本籍にしていたことがあった。
祖父母も、母も、日本橋を好み、私は幼児期・児童期にすぎなかったが、日本橋での飲食の機会は多かった。鰻は、竹葉亭(銀座)、美国屋(日本橋)、大江戸(本町)、久保田(神田末広町)と中央通り沿いや、その他多くの店に入った。
食べ方は、もちろん関東焼きといわれた蒲焼。白焼きを蒸したあとでタレをつけて焼く方式。蒸すという工程が、身を柔らかくし、タレがよく染みて、白米の飯ととてつもなくよくマッチした。
醤油の甘ダレに鰻の脂肪分が溶け込んで天にも昇る心地のする有機物のソースができあがり、鼻腔の嗅覚と、舌先の味覚を同時に刺激した。鰻丼も鰻重もこのタレがご飯にしみ込んで、鰻以外にはあり得ぬ複雑な風味を生み出した。いかんとも名状し難い液体をつくりあげる鰻屋は、子供にとってはナゾめいた尊敬の対象であった。
後年、関西風の焼き方を知ることになるが、それは私の身体にアラフォーの風が吹き始めた頃のことだ。非常勤の講師を頼まれて、名古屋通いをした時の、夜の食事に、鰻丼か鰻重を食し、また名古屋独特の「ひつまぶし」を初体験した。
蒸しの工程を省いて、白焼きからすぐ本焼きにはいるという蒲焼だったので、身がほぐれず固かった。たしかに院長先生のおっしゃる感想と似ていた。関東で慣れた風味を期待して、食事的慰みを得ようと店に入るから、そのゴムマリみたいな風味は「何かの間違えか」などと感じて、だいぶ期待外れだったが、後日ひつまぶしを注文した時は、細かく切ってあるので、食べにくいことはなく、首都圏とは違った文化的味わいを堪能した。ひつまぶしのお櫃ごと茶漬けにするのはけっこう気に入った。
院長先生のお書きになる文面を見ていると、どうやら文化的なフレキシビリティにおいては、私の方が勝りそうだ。(笑)私の方が味覚的に「いじきたない」ということだろう。
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ただ当地では蒸さないので東京版より落ちます。
浜松もウナギは蒸さなかったなあ。
蒸すのと蒸さないのとの境界は静岡あたりかもしれません。
文化的境界がどの辺にあるのかということを巡って、関連する書物がベストセラーになったことがあります。関東の「バカ」に対して関西の「アホ」という言語文化の境界線はどこにあるのか…という議論でした。
単行本は、松本修著『全国アホ・バカ分布考』副題に「はるかなる言葉の旅路」とあります。1996年に新潮社で文庫本化されています。
調査を進めて行くに従って、アホ・バカの二者択一ではなく、名古屋から高山に至る地域が「タワケ文化圏」として燦然たる光彩を放って、フォサマグナのごとき存在感を持っていることが発見される。綿密な戸口調査をした結果判明したということで、貴重な発見でした。
(2)うなぎ
件のウナギのさばき方ですが、浜松うなぎ料理専門店振興会によると、同振興会所属の浜松市内のうなぎ屋は三十店舗あって、そのうちの24店が関東風、6店舗が関西風なのだそうです。
https://withnews.jp/article/f0150723001qq000000000000000W02b0801qq000012279A
この記事によると、浜名湖から諏訪湖に至るラインあたりが境界線のようだと結論づけています。
そして、関西焼きはあまり東進していないが、関東焼きはわりと西進しているとも書いてあります。私が神戸や大阪で食べたうなぎは関東風の蒲焼でした。
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