(天安門事件の1シーン。ウィキペディアより引用。)
田中角栄と周恩来の日中国交正常化いらい、両国は友好関係をたもった。中曽根総理の時の中国主席、胡錦涛はとくに親日的だった。二人の蜜月は胡錦涛が死ぬまで続いた。胡錦涛は鄧小平の眼鏡にもかなっていた。
しかし天安門事件が起きると、鄧小平は胡耀邦を批判した。そして、これまでの教育が自由過ぎたと路線を変更し、反日教育を行うようになった。これが現在まで続いている。天安門事件以後の子どもはみな反日教育を受けている。
国をまとめるために外部に敵を作るのは常套手段である。天安門事件いらい中国は反日的となった。以上が私の中にある(きわめて単純化された)図式なのだが、どうか?
※今日の短歌
田に張れる氷を割りて泥鰌掘るわれ小作農の次男坊なり
黒澤正行(福島県)