(松本城近くの空き地には盆踊りの用意がされていた。)
45年前、冷房のない名古屋の夏は地獄だった。だから大学生時代の夏休みには毎年、乗鞍高原に1か月以上も滞在した。
乗鞍高原はとうじ、乗鞍岳以外にこれといった観光資源もなく、村人は涼しい村を「学生村」と銘打って学生たちを滞在させた。下界の学生たちには天国のような涼しさの中で、勉強に散索にと真夏の高原を満喫できた。1泊3食付880円。1か月滞在しても27,000円足らずで、名古屋の下宿代(食事なし、6畳1間)とほぼ同じだった。
学生たちのほとんどは東京や京都の有名大学の在校生で、中で目立ったのは司法試験を目指す連中だった。毎年、同じ学生たちと出会うので自然に親しくなった。現在でも年賀状のやり取りをしている者もいる。
名古屋から中央本線のディーゼル車で松本まで行き、すぐ乗鞍高原行きのバスが出る新島々まで松本電鉄で行った。暑いので松本には滞在したことはなかった。
その後、何度も同じ民宿に泊まった。私の子どもたちが小学生になった時も連れて行った。子どもが運転免許を取ってからは、車を運転させて訪れた。
山道は未舗装かつ片側が断崖で、落ちそうな道だった。バブル景気の前に道は改良されて2車線の立派な乗鞍ハイウエイとなり、自家用車の大集団が押し寄せるようになって、乗鞍高原は一大観光地となった。学生時代、私たちが散策した牛以外はいない牧場が、観光牧場となって店が立ち並び、観光客が列をなした。しかし、バブルが弾けると再び寂れてきた。それが現在の姿である。
こんかい初めて松本で1泊し、なんと初めて国宝松本城を見た(上の写真)。冷房が普及したおかげである。松本に冷房がない時代には、頑張ってすぐに乗鞍高原まで行くのがふつうだったからだ。(冷房付きの宿は、学生には高価で泊まれなかった。)
この旅で、ただ一つ残念だったことは、つい3,4年前まで営業していたはずの馴染の民宿が空き家になっていたことだった。
(乗鞍国民休暇村全景。楽天トラベルより引用。)
※今日、気にとまった短歌
いま恋をしている途中とわれに告げ友はそのまま旅より帰らず (静岡県)西貝里美
懐かしい響きですね。
僕も高2から10年ほど、夏は下伊那の阿南町新野高原の学生村で過ごしましたよ。
旧盆の時期に3日間、夜半から明け方まで踊る有名な盆踊りがあって、皆で踊り明かしたものです。3年前と翌年、久し振りに踊ってきました。(わが青春の想い出の地です。)
「学生村」懐かしいですよね。僕の青春の半分くらいはそこにあります。高校生も受験勉強に来ていました。武蔵高の子で大学生たちの宴会なぞには巻き込まれなかったので、偉いなと思っていたら東大に受かりました。
実は僕の場合、下界(名古屋)では着かず離れずだった「彼女」が、呼びもしないのに下界から来たので「決まり!」となりました。それがいまの家内。
そして
45年前と言いますと私も結婚しまして、共働き・子育ての真っ最中でした。
田舎者が上京したわけですから・・・何処を向いても
知らない人ばっかりで、ちょっとオオバ-ですが・・
松本城・白馬・蓼科山・美ヶ原高原・諏訪湖
天竜ライン下りでは思い出があります。
私の夫の出会いは白樺湖畔を 馬に乗って
一周したことでした。
そして子供達と遠足はよくいきました。
チイチパッパチイパッパだったんですが・・・
お二人様の会話を邪魔してしまいましたね。
御免なさい。
松本城の写真アップ有難う御座いました
それから「読者になる」お返事頂きましてお有難う御座いました
かわひらこさん(男性)は、中学高校の同級生です。お邪魔ではありません。(^-^)