街は息切れしたかのように静かだった。クリスマスを過ぎた一瞬、途端に押し寄せる来年というボールを受け止めかねて脇に落としてしまい、どうしたらよいかわからないといった風情を引きずりながら車が街を通っている。正月飾りの松を抱えて歩くのは贔屓目に見ずともお年を召した方が大半、「来年」三月の締日に合わせて動く会社勤めの人間は年を跨ぐということを一顧だにせずスケジュール帳へ予定を詰め込み年末年始は彼らにとって少し長い連休のひとつといった程度なのかもしれない。クリスマスの予定に合わせて動いている気がしないでもない彼らはその熱っぽさから醒めてゴミ収集車の予定表を改めると捨てたいものを集める時期はとっくに過ぎている。かといってメディアからはことばや赤白の模様が切り替えボタンでも押したかのように年末と正月に向けて何かをしなさいとけしかけている。さて、どうしようか?
カレンダーの一月が四月によく変わらないものだ、と毎年思う。年齢が増えるのは誕生日、学校や会社の終わりは三月、始まりは四月。そのサイクルで動くことに慣れていると、突然現れる切り替わりの十二月と一月の狭間を人は持て余しながら動いているように見える。彼らにとっての来年は「来年の四月」であって、正月ではない。なのにコンビニへ行けば正月飾りが売られ、デパートへ行けば紅白の垂れ幕が赤緑のツリーに代わって釣り下がり、テレビでは振袖の美女が「お正月は○○へどうぞ!」と皎い歯をひらめかせる。正月に何を迎えるのだろう、何も終わっていないのに何故十二月は終わるのだろう、今年はまだ終わっていないのに、という暗黙の疑問を孕みながらとってつけたように掃除をし、周りに合わせて食べ慣れない味の煮しめや雑煮の支度へもそもそと手を付けてゆく。
年越しを肌で感じ手を動かすには、果たして今自分は何をしているのか分からない不安が影に寄り添っている。それを思い起こさせて一月のショウバイへ繋げ、三月の締日につなげるための準備期間がクリスマスと大晦日の間の一時なのかもしれない、温かさにコートの第一ボタンを外しながらそんなことを思い見上げると日当たりの良い枝先に紅梅が早すぎる花を咲かせていた。
カレンダーの一月が四月によく変わらないものだ、と毎年思う。年齢が増えるのは誕生日、学校や会社の終わりは三月、始まりは四月。そのサイクルで動くことに慣れていると、突然現れる切り替わりの十二月と一月の狭間を人は持て余しながら動いているように見える。彼らにとっての来年は「来年の四月」であって、正月ではない。なのにコンビニへ行けば正月飾りが売られ、デパートへ行けば紅白の垂れ幕が赤緑のツリーに代わって釣り下がり、テレビでは振袖の美女が「お正月は○○へどうぞ!」と皎い歯をひらめかせる。正月に何を迎えるのだろう、何も終わっていないのに何故十二月は終わるのだろう、今年はまだ終わっていないのに、という暗黙の疑問を孕みながらとってつけたように掃除をし、周りに合わせて食べ慣れない味の煮しめや雑煮の支度へもそもそと手を付けてゆく。
年越しを肌で感じ手を動かすには、果たして今自分は何をしているのか分からない不安が影に寄り添っている。それを思い起こさせて一月のショウバイへ繋げ、三月の締日につなげるための準備期間がクリスマスと大晦日の間の一時なのかもしれない、温かさにコートの第一ボタンを外しながらそんなことを思い見上げると日当たりの良い枝先に紅梅が早すぎる花を咲かせていた。