えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・確率と思い込み

2018年01月01日 | コラム
「“へい”だったんだよ」

 年初めの恒例として、もじゃもじゃ言いながらも家族全員で初買いに行き買い物袋を抱えて座り込んだイトーヨーカドーの喫茶スペースで唐突に父が言った。「“へい”」。ハイカラな呼びかけでもなく、粗雑な返事でもなく、お御籤の卦だという。漢字を訊ねると「なんだったかな」と、話の流れから類推するだについ数日前に引いたはずだろうお御籤のたった数文字が思い出せない風情である。「“平坦”の“平”?」「そう、その“へい”だ」
 凶の確率三割で名高い某お寺にもない卦である。聞くと出かけた先で見つけた小さな神社で引いたとのことで、小さいなりに社務所があったといった。肝心の神社の名前はググれと雑に投げられる。その卦は一体どういう意味なのだと続けて訊ねたが、おそらく縦長の紙に書かれた文字よりも、丁度宮司らしい人が通りかかったので直接聞いたらしい。

「それでどうなったの」
「首をひねったから、『結んだ方がいいですかね』って聞いたら、『そうですねえ』って言われた。
 凶と吉の間らしいな。すごい出ないらしくて、0.何パーセントだとよ」
 数字だけを見れば「かえって運がいい」と思えそうな内容だが、宮司(おそらく)直々に「結べ」とアドバイスされるほどの卦には一体何が書かれているのだろうか。凶と吉の間で波風のない運との説明には良さも感じるが、よくないそうだ。どのように「よくない」のだろうか、相応にしょうもないことを期待しながら念のために、期待せずに聞いた。

「それ、今持ってるの」
「いや」
「結んだの」
「結ばなかった」
 最初は宮司のお勧め通り、ろくに中を読まずに結ぼうとしたらしいが、同行の友人から「二百円で売ってくれ」と言われたので売ったそうだ。「運をそのまま引きずるぞ」と注意したそうだが、よほど嫌なことがあったのかその友人は「もう落ちる運なんかねえよ」と勇敢に購入し、父の手元からお御籤はなくなった。その後の酒の席で一時間くらい「“へい”」の話題はもったそうだ。「今度ひいたら持ってくるよ」とけろっとして父は言った。「どこで引くのさ」やはりググれとの返事に仕方なく携帯電話を取り出してお言葉通りにGoogleで検索すると、「おみくじ “たいら”」という結果が予測検索に上がってきた。出来れば平らかなままでいていただきたいものだが、お返ししたものはしょうがないので、次の「今度」を新年開始から数時間で臨みながら検索結果を淡々と、他の家族を待ちながら読んでいた。

 二〇一八年は平らかに訪れましたでしょうか。本ブログも文字だけという横着ぶりながら、とうとう一〇年選手を迎えてしまいました。ブログというツール自体のかたち、文字というインタフェースのかたちすらも問われるだろうこれからも、文字というかたちはしばらく使い続けたいと思う次第で書かせていただきます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
コメント
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