電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

カール・ライスターの「一番印象深かった録音」

2005年05月15日 07時51分20秒 | -協奏曲
朝、早起きしてしばらくぶりにドヴォルザークのチェロ協奏曲を聞いた。ピエール・フルニエの独奏、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルの演奏である。もう30年以上、LPでもCDでも、何度となく聞いてきた録音だ。何で読んだか忘れてしまったが、ベルリン・フィルのクラリネット奏者で、クーベリックとモーツァルトのクラリネット協奏曲などを録音しているカール・ライスターが、退団後「ベルリンフィル時代に一番印象深かった録音」と言っていた、その録音である。

第二次大戦後、カラヤンがベルリンフィルと初のアメリカ楽旅を行った際、反ナチのデモの洗礼を受け、だいぶ不愉快な思いをしたらしい。(オーマンディに冷たくされて決して許さないと誓い、後にザルツブルグ音楽祭やベルリン、ウィーン、両方のオーケストラから締め出したのはそのせいか。オーマンディの世評には影響したかもしれない。) これは、就職のためナチス党員になったカラヤンが、フルトヴェングラーの後任候補だったにもかかわらず、党幹部の不興をおして1/4だけユダヤ人の血が混じる女性と結婚を強行したことから、ナチスドイツ末期にはイタリアに逃げ出す羽目になる。このあたりの事情が、反カラヤンのデモにまで発展したものらしい。

そのカラヤンがジョージ・セルと親交があり、彼を尊敬していたのは事実のようだ。(このことは、『プローベ』というカラヤンの興味深い論文に明記されている。)クリーヴランド管弦楽団のヨーロッパ楽旅に際し、ベルリン・フィルとウィーン・フィル以外には原則として指揮しないと決めていたのに、クリーヴランド管弦楽団を指揮し、その音楽的能力に感嘆して、ベルリンフィルの練習のさい、いつもより不機嫌かつ執拗に細部まで文句を言ったことが記録されている。そして逆にジョージ・セルがベルリン・フィルを指揮した。ベルリンフィルの首席奏者であったカール・ライスターは、このとき自分のオーケストラの欠点を明確に悟ったと語っていた。それは、一人一人の奏者は高い技量を持ち豊かな音を出すことができるが、演奏中に互いの音を聴きあおうとしていない、ということだったという。

その後、セルは古巣であるヨーロッパに毎年夏になると出かけて指揮をするようになる。コンセルトヘボウやロンドン響、ウィーン・フィルとの録音などは、こうして生まれたものだ。1961年に録音されたこの演奏は、ピエール・フルニエがCBSに録音する見返りにジョージ・セルがベルリンフィルを振る、ということで契約が成立したものらしい。言ってみればバーター取引で生まれたものだが、実に素晴らしい演奏になっている。ソリストならもっと存分に歌わせたいと思われるところも、速めのテンポでオーケストラが力強く雄渾な調べを聞かせると、フルニエも気迫のこもった演奏を行い、両者が高い集中力を示し、緊密に響きあう音楽を構築しているように思う。

参考までに、手元にあるCDの演奏時間を記す。この録音の特質がよくあらわれているように思う。
■ フルニエ(Vc) セル指揮ベルリン・フィル
I=14'44" II=11'25" III=12'20" total=38'29"
■ リン・ハレル(Vc) レヴァイン指揮ロンドン交響楽団
I=14'50" II=13'35" III=13'24" total=41'49"
■ デュ・プレ(Vc) バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
I=15'21" II=13'11" III=13'28" total=42'00"

【追記】
録音年は1962年としていましたが、望 岳人さんより1961年であると指摘をいただいた(*)ので、訂正をしました。ありがとうございます。

(*):ドヴォルザークのチェロ協奏曲 フルニエ、セル、BPO~「日々雑録 または 魔法の竪琴」より

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