電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『晏子』を読む

2005年05月22日 20時58分27秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫で、宮城谷昌光の『晏子』第1巻~第4巻を読んだ。前半の第1巻と第2巻は、父・晏弱の物語だ。後半の第3巻と第4巻は、子・晏嬰の物語である。

春秋時代の中国で、使者として斉王・頃公に拝謁しようとした晋卿が、王の生母にその容貌を哂われ、激怒したことから、斉と晋の間に険悪な空気が流れる。王の命により断道の会に赴いた晏弱は、辛うじて死中に活を得、斉に帰還し復命したことで、亡命貴族に過ぎない立場から一転して斉の将軍となる。優れた人格を備え、智謀と戦略により東方の諸国を従えた晏弱は、斉の政変を越え見事に対処することで、人々の信頼と期待を集める大夫となるが、国の存亡をかけた危難の最中に急死してしまう。
そして、戦乱の中で三年の喪を通した晏弱の息子・晏嬰は、小さな体に父の意を受け継ぎ、霊公、荘公、景公と三代の王に仕え、諌め教えた。その毅然たる進退は、春秋戦国の世にあって、見事なまでに一貫している。

父・晏弱が途中あまりにあっけなく死んでしまうので、一時はどうなることかと思ったが、父と子の物語だったのですね。
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若い日の登山と音楽

2005年05月22日 06時32分34秒 | クラシック音楽
若い頃、山登りが好きで、よく出かけた。たいていはグループででかけたが、単独行をしたこともある。グループの場合は比較的気持ちが安心だが、単独行の場合は、夜などに心細さもある。無人の避難小屋で、ろうそくの光だけをたよりに一人じっとしていると、本を読むこともできないし、実に夜が長い。そんなときは、持参した携帯ラジオが楽しみだ。山頂付近なら、たいていどこのFM局も受信できるので、普段は聞くことのできない、地元のFM局の放送を聞くことができる。ただし、他愛もないおしゃべりは、人里離れた山小屋ではかえって空疎なものだ。むしろ普段から聞きなれている、クラシック音楽の演奏に強く心惹かれる。音域の狭いラジオのスピーカから流れる音を想像力で補正しながら聞くBeethovenの交響曲第3番や、Dvorakの交響曲第8番などは、たいへん心にのこるものだ。ましてや、たまたまそれがジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏が流れたりすると、偶然とはいえ、力のこもった演奏に思わず溜息が出る。
福島と山形の県境にある吾妻連峰や秩父の三峰山から雲取山への縦走、丹沢や金峰山、山形と宮城の県境にある船形山や北面白山、北アルプスの蝶ヶ岳や穂高岳、剣岳、尾瀬の燧岳、台風にあってしまった月山など、若い日に登った山々の記憶は鮮明だ。そうして、天気予報やニュース、音楽などを楽しんだ一台のラジオが、人里はなれた山中ではどれほど貴重な存在だったかを、あらためて思う。
できるだけ荷物を軽くしようと努力しながら、重たい一眼レフカメラと交換レンズを持ち、文庫本や山行記録のノートを持ち、さらに携帯ラジオをザックにつめて、水や食糧、燃料、衣類など十数キロの荷物を背負ったことになる。今はとてもそんな元気はないが、三十年前のあの頃はたしかに若かったのだろう。そして、いまだに歩くことが好きで、お天気がよければデジタルカメラと携帯CDプレーヤーをお供に散歩に出るのは、当時の習性をそのまま残しているのかもしれない。

写真は、剣岳。1978年に撮影したものだ。
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