電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ヴェルディ歌劇「ドン・カルロ」第3幕を堪能する

2005年08月12日 10時17分58秒 | -オペラ・声楽
朝食後、子どもを駅まで送り、LDでヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」第3幕を堪能する。

憂愁と嘆きを歌うチェロ独奏と弦楽合唱の対話のうちに幕が上がり、スペイン王フィリッポII世が妻エリザベッタのことで思い悩む。フランスから来て自分の白髪頭を見た時の悲しそうな顔を思いだし、嘆くニコライ・ギャウロフの堂々たるバス、人の心の中を読み取ることはできないという事実の前には、王冠も助けにならないと歌う「王衣をまとって初めて眠ることができよう」に盛大なブラヴォー。
そこへ、盲目の大審問官の登場で、一気に緊張が高まる。息子を死刑にして、私は許されましょうか、息子を殺せましょうか、と尋ねる王に、大審問官は信仰の名においてカルロの死を求め、王は署名する。大審問官はなおも重ねて、王の腹心で忠実な友、しかし王国を破滅に陥れる者として、ポーサ侯ロドリーゴの死を要求、拒む王に対し、「そなたには革新の思想が流れ込んでいる」と指摘し、王を宗教裁判所にかけると脅す。「たわけものめ」と。異端裁判を背景に、「王座は常に祭壇に屈しなければならないのか」と問うフィリッポII世の嘆きは、絶対王政前夜の宗教と王権の確執を描く名場面であろう。

そこへ、王妃エリザベッタが手箱を盗まれたと訴えて来る。王は、手箱はここにある、と手箱を開き、カルロの肖像を示して王妃の不貞をなじる。カルロを愛しつつ、フォンテンブローの森で示されたフランス国民の困窮を救うため、自身の幸福をぎせいにした王妃は、王の疑いを受け倒れる。そこへエボリ公女とロドリーゴが登場、四人の緊密な四重唱が展開される。この場面の音楽的な密度は本当に素晴しい。
王とロドリーゴが去った後、エボリは王妃に密告と手箱を盗んだことを謝罪、あわせてカルロへの愛ゆえの嫉妬と、王との不貞を告白する。王妃の抑えた怒りは「国を出るか尼寺か、どちらなりと」と冷たい。
エボリの「むごい贈り物」のアリアはなくてもいいだろうと感じられるが、実はこれが国王の机上に王子カルロの死刑宣告書の発見の伏線となっており、「まだ一日残っている」と歌って幕となる。

この第3幕は、地味ながら実に音楽的な密度の高い、素晴しいドラマになっている。この場面だけを、何度もくり返し見てしまう。
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カラヤンのシベリウス「交響曲第2番」を聞く

2005年08月12日 07時06分55秒 | -オーケストラ
朝、隣家の同級生がパチンパチンと生け垣をはさみで剪定している音で目がさめた。早朝から精が出ることだ。起き抜けにコーヒーを淹れ、音量をしぼって静かにシベリウスの交響曲第2番を聞く。

演奏は、カラヤン指揮ベルリンフィル。CC28-99005の番号を持つこのCDは、何年の録音なのか、全く記載がない。カラヤンの自伝を読むと、第二次大戦後、主要なオーケストラから締め出されていたころ、ウォルター・レッグと組んでLPレコードで売り出そうと計画したとき、カラヤンが提案したのがシベリウスの交響曲全集であったそうな。レッグは難色を示したが、のちに1950年代のフィルハーモニア管弦楽団とのレコーディングとなって実現する。カラヤンのシベリウスに対する特別な関心を示すエピソードであるが、1980年代にベルリンフィルとの再々録音を行っているので、この録音は1980年代のものと思われる。

ふだん、セル指揮クリーヴランド管弦楽団の東京ライブとともに、カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏とを楽しんでいる。全体の構築や推進力の点で圧倒的なセルの演奏であるが、このカラヤンのCDでは、部分部分ではっとするような美しい瞬間があり、思わず聞き惚れてしまう。

実演では、1990年代の後半から、村川千秋指揮山形交響楽団が毎年一曲ずつ全曲を演奏した。厳寒の時期に、シベリウスを聞きに出かけるのが楽しみだった。たしか、第1番はWindows95の年ではなかったか。そうして第2番は1996年だったはずだ。東北最初のプロ・オーケストラである山形交響楽団の創立者・村川千秋氏は、唐突に演奏を終える、あのシベリウスの第7番の交響曲を演奏し、新しい世紀が始まる2001年に引退した。現在は、飯森範親氏が山響の常任となり、素晴しい演奏を聞かせてくれているが、村川氏の指揮でシベリウスの交響曲全曲を聞くことができたのは、実に幸せなことであった。

■シベリウス 交響曲第2番ニ長調Op.43 カラヤン指揮ベルリンフィル
I=9'47" II=14'30" III=5'42" IV=16'28" total=46'27"
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