先日、米沢市に出かけ、上杉家と直江兼続の史跡を歩いて来ました。上杉鷹山については、以前も記念館で見たことがありましたが、今回は上杉景勝と直江兼続を中心とした探訪です。
今回歩いたところは、
(1)上杉神社、同稽照殿
(2)上杉記念館
(3)上杉廟所
(4)春日山林泉寺
(5)旧山形工業高等専門学校本館
です。
まず、上杉神社です。
同神社の宝物館である、稽照殿です。内部はけっこう見ごたえがあります。じっくりと見学しました。
ここで一休みして、うこぎソフトを食べました。暑い中、お店で働いているお嬢さんに「ちょっと撮らせてください」とたのんで、デジカメで撮影。Thanks!
続いて、上杉博物館。上杉家文書の展示は、興味深いものがありました。シアターのドラマの出来は、ちょいと不満が残ります。15分程度で収めるには、無理なのかもしれません。
そこから車で少し移動して、上杉廟所を見学。この写真の突きあたりが、廟所です。
こちらは、不識院殿こと上杉謙信の廟。長尾姓が上杉姓にかわりましたので、長尾系上杉の初代になります。
謙信の廟の左右に、歴代藩主の廟が並びます。左手が二代目の景勝以下の偶数代藩主で、左端から二番目が鷹山公のもの。屋根の形が違うのは、火葬と土葬との違いによるものだそうです。ちなみに、謙信公はミイラ状態だそうです。
さらに移動して、春日山林泉寺に行きました。これが林泉寺の山門ですが、ちょっと寺院の山門風ではない。これは、もともとの山門が失われたときに、鷹山公の時代の家老の竹俣当綱が、屋敷の門を寄進したのだそうです。いかにも米沢藩らしいです。
今回初めて見学した春日山林泉寺は、謙信直筆の「第一義」の懸額など、見どころが多く、収穫でした。写真は、林泉寺にある直江兼続夫妻の墓所です。
こちらは、主君・景勝公の正室、甲州夫人菊姫の墓です。なぜ夫人が夫と一緒に上杉廟所ではないのかというと、初代謙信が独身であったために、二代目以降が夫婦で墓に入るのを遠慮した、ということらしい。決して現代のように、夫と一緒の墓に入るのを妻がいやがった、ということではないようです。
林泉寺には、他にも武田信玄の六男・武田信清の墓もあります。なぜライバル信玄の息子が上杉家ゆかりの墓所に、と不思議でしたが、武田勝頼滅亡の後、甲越同盟を結んでいた上杉家を頼って来たらしいのです。このあたりの歴史も、川中島合戦だけではない、趣きがあります。
最後は、林泉寺のすぐ隣と言って良い、旧山形工業高等専門学校本館です。ここも、たいへん見ごたえがありました。そういえば、米沢はNECの初代98ノート誕生の地でもあります。PC8001mkIIやシャープのMZ-80B、富士通のmicro8の実機展示など、思わず足を止めて見入ってしまいました。
最後に、米沢ラーメン大盛りを。米沢市街東部、米沢四中の近くにある「かど久」だか「かど万」だか、そんな名前のラーメン屋さんでした。美味しかった。
今回歩いたところは、
(1)上杉神社、同稽照殿
(2)上杉記念館
(3)上杉廟所
(4)春日山林泉寺
(5)旧山形工業高等専門学校本館
です。
まず、上杉神社です。
同神社の宝物館である、稽照殿です。内部はけっこう見ごたえがあります。じっくりと見学しました。
ここで一休みして、うこぎソフトを食べました。暑い中、お店で働いているお嬢さんに「ちょっと撮らせてください」とたのんで、デジカメで撮影。Thanks!
続いて、上杉博物館。上杉家文書の展示は、興味深いものがありました。シアターのドラマの出来は、ちょいと不満が残ります。15分程度で収めるには、無理なのかもしれません。
そこから車で少し移動して、上杉廟所を見学。この写真の突きあたりが、廟所です。
こちらは、不識院殿こと上杉謙信の廟。長尾姓が上杉姓にかわりましたので、長尾系上杉の初代になります。
謙信の廟の左右に、歴代藩主の廟が並びます。左手が二代目の景勝以下の偶数代藩主で、左端から二番目が鷹山公のもの。屋根の形が違うのは、火葬と土葬との違いによるものだそうです。ちなみに、謙信公はミイラ状態だそうです。
さらに移動して、春日山林泉寺に行きました。これが林泉寺の山門ですが、ちょっと寺院の山門風ではない。これは、もともとの山門が失われたときに、鷹山公の時代の家老の竹俣当綱が、屋敷の門を寄進したのだそうです。いかにも米沢藩らしいです。
今回初めて見学した春日山林泉寺は、謙信直筆の「第一義」の懸額など、見どころが多く、収穫でした。写真は、林泉寺にある直江兼続夫妻の墓所です。
こちらは、主君・景勝公の正室、甲州夫人菊姫の墓です。なぜ夫人が夫と一緒に上杉廟所ではないのかというと、初代謙信が独身であったために、二代目以降が夫婦で墓に入るのを遠慮した、ということらしい。決して現代のように、夫と一緒の墓に入るのを妻がいやがった、ということではないようです。
林泉寺には、他にも武田信玄の六男・武田信清の墓もあります。なぜライバル信玄の息子が上杉家ゆかりの墓所に、と不思議でしたが、武田勝頼滅亡の後、甲越同盟を結んでいた上杉家を頼って来たらしいのです。このあたりの歴史も、川中島合戦だけではない、趣きがあります。
最後は、林泉寺のすぐ隣と言って良い、旧山形工業高等専門学校本館です。ここも、たいへん見ごたえがありました。そういえば、米沢はNECの初代98ノート誕生の地でもあります。PC8001mkIIやシャープのMZ-80B、富士通のmicro8の実機展示など、思わず足を止めて見入ってしまいました。
最後に、米沢ラーメン大盛りを。米沢市街東部、米沢四中の近くにある「かど久」だか「かど万」だか、そんな名前のラーメン屋さんでした。美味しかった。