電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

火坂雅志『天地人』下巻を読む

2007年09月20日 05時47分57秒 | 読書
再来年の大河ドラマの原作、上杉藩の執政・直江兼続を描く、火坂雅志著『天地人』の下巻は、人質として送られた真田幸村が、直江兼続本人から出迎えられる場面から始まります。直江兼続が上杉謙信に私淑したように、軍事的才能に富む兼続の別の面、義と、それを支える利、という視点に目が開かれる真田幸村の若き日の姿が描かれます。

時代は豊臣秀吉と徳川家康を軸に動いて行きます。徳川家康に対抗していた上杉景勝は、天下を手中にした豊臣秀吉に味方することを誓います。秀吉は、上洛した景勝の家臣に過ぎない直江兼続を高く評価し、破格の待遇で迎えます。秀吉の能吏である石田三成は、直江兼続と語り、家康に対抗する戦略を練ります。

しかしながら、秀吉の朝鮮出兵はいかにも不始末。自ら蒔いた種とはいえ、豊臣家の衰退は目を覆うばかり。三成憎しという旧臣たちの離散も、これに輪をかけます。上杉は会津に転封となりますが、しぶしぶ秀吉に従った東北の独眼龍こと伊達政宗は、同様に上杉を恐れる最上義光とともに徳川方に味方し、上杉に対立します。関が原の前夜、徳川家康に対し、果敢に喧嘩腰の手紙をたたきつけた上杉は、討伐に向かった徳川軍を迎え撃つ態勢を整えていたのですが、家康は豊臣方が決起したことを知り、急遽軍を西に転じるのです。

このとき、上杉軍は徳川軍を追撃することができたのに、しなかった。これが、徳川の世をもたらすこととなる関が原での決戦を、家康が直接に指揮することができた最大の原因でしょう。

豊臣方で敗軍の将となった上杉景勝は、領地召し上げ・上杉藩は取りつぶしとなってもおかしくはなかったのですが、そこは直江兼続、硬軟取り混ぜたねばりづよい交渉で、ついに30万石に減じて上杉家存続を実現します。そして自分の領地になっていた米沢に、会津から主君である上杉景勝らを迎え入れるのです。すべての家臣を召し放たず、という決定と財政対策や、一気に拡大した米沢の町づくりなど、不満たらたらの藩士たちを抑えて、きわめてリアリスティックな形で奔走します。このあたりの政治的・行政的才能も、後の世の上杉鷹山が尊敬したという直江兼続の特質でしょう。

米沢市で見た米沢上杉藩の大きな墓石群は、それぞれ銃眼となることを想定した穴が開けられ、侵入者に対して正対するように建てられていました。たとえ不利益は甘受しても、義が通らないのであれば、徹底した軍事的対応も覚悟しているぞ、という意地の現れでしょうか。



さて、どこが「愛」なのか。どうも、現代人が考える「愛」ではなさそうです。
たぶん、まずは家臣と領民に対する仁愛、ということでしょう。
そして、時代の転換を見つめる目に、天下の平和を希求する仁愛があったとも言えるかもしれません。

古代中国の歴史上にも、孟嘗君や范雎、管仲など、多くの魅力的なナンバー2が描かれます。日本の大河ドラマも、いつまでも信長・秀吉・家康ではないのでしょう。宰相や補佐役が描かれる時代が来た、といってよいのでしょうか。直江兼続という知られざる武将を紹介する、娯楽性も大きな、たいへん読みやすい本だと思います。
コメント (2)