藤沢周平『春秋の檻~獄医立花登手控え(1)』を読みました。講談社文庫の第1巻は、まだ新装版になる前で、小さな文字で読みにくいのですが、しばらくぶりの再読です。
◯
立花登、羽後亀田藩出身。江戸で開業する、母の弟・小牧玄庵を頼ってやってきた。叔父は、酒に目がない、流行らない町医者であり、医術は時代遅れになりかけている。夫を尻に敷き、口やかましい叔母と、母親に似て美貌だが驕慢な従妹のおちえらのもとに居候をしている。登は、小伝馬町の牢医見習いをしながら、起倒流柔術の鴨井道場で、師範代の奥井と友人の新谷弥助とともに三羽烏と呼ばれている。
「雨上がり」、女のために罪を犯し、島送りになる男。だが、その女には情夫がいた。
「善人長屋」、無実を訴える年寄の罪名は殺人。娘のおみよは全盲で、長屋の人々の世話になっている。だが、おみよを訪ねた帰路、登は匕首を持った男に襲われた。
「女牢」、女牢の新入りであるおしのは、遊び人の亭主を出刃で殺した罪だという。三年前、江戸に出て間もない頃、登はおしのに会ったことがあると思い出す。その頃、亭主と別れたら、とは言えなかった。
「返り花」、勘定吟味下役が入牢し、その妻女が届けた餅菓子に毒が盛られていたという。後妻の登和は毒を盛ってはいなかったが、女心は不可解。やがて夫は無実が判明し、晴れて出牢するだろう。
「風の道」、従妹のおちえは、遊び仲間とほっつき歩いている。牢内で石屋の職人が殺され、残された妻にも危険が迫る。登の柔術が冴える。
「落葉降る」、手癖の悪い老いた父親がまた牢に入った。しっかり者でよく働く気丈な娘は、父親の留守中、帰り道で襲われる。真相を知った娘は出刃包丁を持ち出す騒ぎになる。出牢した老いた父親の孤独が哀しい。
「牢破り」、従妹のおちえがまた遊び呆けている。つきあっている若い男は新介といい、堅気ではないようだ。登は、おちえを人質にされ、牢破りに使う鋸を持ち込むように脅される。最後は大捕物となり、緊迫した幕切れだ。
◯
遊び呆けるおちえは、当時高校生くらいだった娘の展子さんがモデルなのだとか。藤沢周平は、なぜ牢医を主人公に選んだのでしょう。登場人物の大半は囚人であり、悪党もいますが、やむを得ない事情で罪を犯した者も多く描かれます。だいぶ前に、この作品がNHKでドラマ化されたとき、なぜNHKは牢内に善人しかいないような描かれ方のドラマを放送するのか、という反響があったそうな。脚本にそんな傾向があったのかどうか、今となっては記憶が判然としませんが、原作自体が、単純に娯楽作品とは言い切れない、やや挑戦的な意気ごみを感じさせる作品であるように思います。
◯
立花登、羽後亀田藩出身。江戸で開業する、母の弟・小牧玄庵を頼ってやってきた。叔父は、酒に目がない、流行らない町医者であり、医術は時代遅れになりかけている。夫を尻に敷き、口やかましい叔母と、母親に似て美貌だが驕慢な従妹のおちえらのもとに居候をしている。登は、小伝馬町の牢医見習いをしながら、起倒流柔術の鴨井道場で、師範代の奥井と友人の新谷弥助とともに三羽烏と呼ばれている。
「雨上がり」、女のために罪を犯し、島送りになる男。だが、その女には情夫がいた。
「善人長屋」、無実を訴える年寄の罪名は殺人。娘のおみよは全盲で、長屋の人々の世話になっている。だが、おみよを訪ねた帰路、登は匕首を持った男に襲われた。
「女牢」、女牢の新入りであるおしのは、遊び人の亭主を出刃で殺した罪だという。三年前、江戸に出て間もない頃、登はおしのに会ったことがあると思い出す。その頃、亭主と別れたら、とは言えなかった。
「返り花」、勘定吟味下役が入牢し、その妻女が届けた餅菓子に毒が盛られていたという。後妻の登和は毒を盛ってはいなかったが、女心は不可解。やがて夫は無実が判明し、晴れて出牢するだろう。
「風の道」、従妹のおちえは、遊び仲間とほっつき歩いている。牢内で石屋の職人が殺され、残された妻にも危険が迫る。登の柔術が冴える。
「落葉降る」、手癖の悪い老いた父親がまた牢に入った。しっかり者でよく働く気丈な娘は、父親の留守中、帰り道で襲われる。真相を知った娘は出刃包丁を持ち出す騒ぎになる。出牢した老いた父親の孤独が哀しい。
「牢破り」、従妹のおちえがまた遊び呆けている。つきあっている若い男は新介といい、堅気ではないようだ。登は、おちえを人質にされ、牢破りに使う鋸を持ち込むように脅される。最後は大捕物となり、緊迫した幕切れだ。
◯
遊び呆けるおちえは、当時高校生くらいだった娘の展子さんがモデルなのだとか。藤沢周平は、なぜ牢医を主人公に選んだのでしょう。登場人物の大半は囚人であり、悪党もいますが、やむを得ない事情で罪を犯した者も多く描かれます。だいぶ前に、この作品がNHKでドラマ化されたとき、なぜNHKは牢内に善人しかいないような描かれ方のドラマを放送するのか、という反響があったそうな。脚本にそんな傾向があったのかどうか、今となっては記憶が判然としませんが、原作自体が、単純に娯楽作品とは言い切れない、やや挑戦的な意気ごみを感じさせる作品であるように思います。