電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「魔笛」を見る(2)

2007年09月15日 07時07分19秒 | -オペラ・声楽
ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」の続きです。

タミーノ役のジョゼフ・カイザーとパミーナ役のエイミー・カーソンのコンビは、モノクロのスローモーションで表現される踊りのシーンで、息の合ったところを見せてくれますが、同時に最後の火と水の試練の場面は、御伽話だとは思いつつも、ちょいと感動的。パパゲーナ役のシルヴィア・モイは、おばあさん役での出番はけっこう多いけれど、若い可愛い子ちゃんとしての出番が少なくて、ちょいと残念です。

このオペラ、見るたびにいつ思うのですが、最初の三人の侍女の場面は、けっこう色っぽいシーンですね。今回の映画でも、従軍看護婦の服装で現れますが、美しい若者にぽーっとなった三人の侍女が、ケープだかガウン風の衣装を取り去り、胸もあらわに自分が残ると言いはってきかない場面があります。モーツァルトの時代の庶民の芝居小屋の常で、少々お色気をサービスしたのかもしれません。それにしては、この三人の侍女の歌う音楽の素晴らしいこと!

ところで、哀れなモノスタトスは、自分の肌の色と愛されない運命を嘆きますが、あの変わり身の早さと不誠実さでは、ちょいと女性の愛を得ることは難しそうです。でも、その割にはいいアリアをもらっています。モーツァルトは、たぶん書こうと思えば性格悲劇としての音楽を書くこともできたのかも。ただ、時代がそれを許さなかっただけかもしれません。ヴェルディの時代になって初めて、ムーア人のオテロとデズデモーナの悲劇が描かれることになるのでしょう。

さて、私は70年代末にイングマール・ベルイマン監督の「魔笛」も見ていますが、あちらは劇場の御伽話としての「魔笛」を忠実に再現したオペラ映画でした。今度のケネス・ブラナー監督の「魔笛」は、劇場の枠を取り外し、映画としてのスペクタクル性を徹底して追求した音楽映画だと思います。

互いに憎みあい、争い、和解にいたる過程が、光と闇の抗争の形を取って映像で描かれるとともに、音楽によっても描かれています。最後のスタッフロールで再び序曲が演奏され、三度、和音が鳴り響きますが、モーツァルトの音楽の素晴らしさを、あらためてつくづくと感じたことでした。これからご覧になる皆さん、スタッフロールで立ち上がるのはもったいないです。ぜひ、モーツァルトの音楽がぜんぶ鳴り終わってから、席を立つことをお勧めいたします(^_^)/

って、もう当地での上映は終わりか(^o^;)>poripori
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