もうだいぶ昔の話です。中学生のとき、社会科の授業で、ソ連(当時)の社会主義経済のことを習いました。教えてくれた先生は、アヒルというあだ名の男の先生で、計画を立てて生産するので無駄がない、と説明しました。すると、クラス一番の腕白坊主が、「オレは計画どおりいったためしがない。夏休みの計画も、立てても絶対そのとおりになったことがない!」と発言しました。クラス中どっと笑って、先生は困ったような顔で苦笑いしていました。印象的な一コマです。
ですが、今の年齢になって思うのです。優秀な誰かが机の上で立てた目標を目指し、優等生の誰かが立てた計画にしたがって生産する実態は、実は彼の言葉のとおりだったのではないか。そしてそれは、社会主義経済に限らないものなのかもしれません。誰かが決めた期限にしたがい、決められたスケジュールによって働く人々は、どこかでつじつまを合わせようと四苦八苦しながら、この腕白坊主の言葉にひどく共感したりするのではないでしょうか。まあ、いずれの社会でも、目標と計画には、そんなあやうさがつきまとうものなのかもしれません。
◯
さて、最近の通勤の音楽は、もっぱらチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。この曲、実はあまり得意ではありませんでした。ユーディ・メニューインの指揮、ロイヤル・フィルハーモニックの演奏。例の300円CDシリーズ中の1枚。また、自宅ではモーツァルトのピアノ協奏曲の続きで、第21番ハ長調K.467 を聴いております。
今晩は、宴席が予定されています。ちょいと楽しみです。
ですが、今の年齢になって思うのです。優秀な誰かが机の上で立てた目標を目指し、優等生の誰かが立てた計画にしたがって生産する実態は、実は彼の言葉のとおりだったのではないか。そしてそれは、社会主義経済に限らないものなのかもしれません。誰かが決めた期限にしたがい、決められたスケジュールによって働く人々は、どこかでつじつまを合わせようと四苦八苦しながら、この腕白坊主の言葉にひどく共感したりするのではないでしょうか。まあ、いずれの社会でも、目標と計画には、そんなあやうさがつきまとうものなのかもしれません。
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さて、最近の通勤の音楽は、もっぱらチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」です。この曲、実はあまり得意ではありませんでした。ユーディ・メニューインの指揮、ロイヤル・フィルハーモニックの演奏。例の300円CDシリーズ中の1枚。また、自宅ではモーツァルトのピアノ協奏曲の続きで、第21番ハ長調K.467 を聴いております。
今晩は、宴席が予定されています。ちょいと楽しみです。