(1)法定速度60キロの道路を時速194キロで走行し対向車線で右折しようとしていた乗用車と接触して右折乗用車の運転手が亡くなった事故は、より刑罰の重い危険運転致死罪ではなく過失運転致死罪に問われた。
加害者の運転が「直線道路で走行を制御できていた」(地検判断)として危険運転致死罪にはあたらないと判断された。
(2)犯罪処分には法律論と感情論があるが、日本の刑法は「報復主義」をとらないので、「感情論」が左右することはない。人を殺害しても殺人罪もあれば過失致死罪もある。人を殺害する意思、目的を持って殺害すれば殺人罪だが、殺害する意思もなく、目的もなく行為の結果として殺害に至れば過失致死罪になる。犯罪構成には行為者の「意思」が重要要件だ。
(3)冒頭194キロ暴走行為の結果、対向右折車と衝突して右折運転者を死亡させた事故で、亡くなった運転者の母親は「どうして194キロのスピードを出したのか(暴走運転者にー本ブログ注)聞いてみたい」(報道)と声を震わせたというのは、犯罪行為、構成の認定には重要要件で暴走行為の意思、目的、意図にかかわることだけに、あきらかにされなければならない。
(4)犯罪要件は行為(行動ハード)と判断(頭脳ソフト)の両面があり、冒頭事故の場合仮に暴走車を制御できていた(ハード)として、どういう判断能力、意思、目的(ソフト)でそういう暴走行為をしたのか、犯罪構成では重要だ。
亡くなった運転手の母親の暴走運転者に「どうして194キロのスピードを出したのか聞いてみたい」は重要な行為者の意思要素であり、母親が聞いていないということなので裁判で解明されなければならない。
(5)また、時速194キロ運転でも走行を制御できていたことが危険運転致死罪ではなく過失運転致死罪だというなら、「法定速度」(同道路60キロ)の理念、関係はどう考えるのか。
そもそも「走行を制御できていた」とは運転技能、技術だけのことをいっているのか、上述したように本人の194キロスピードに見合った判断能力、予知能力、識別能力との兼ね合いはどうだったのか、右折しようとしていた対向車と衝突した「結果」としての事故との比較検証は必要だ。
(6)日本の刑法は報復主義をとらずに犯罪者の社会復帰を目指すもので、もちろんより重い刑罰を問うことには判例主義にもとづき公正、公平、厳正な司法判断は必要なことはいうまでもない。