(1)情報公開制度は米外交文書の日米沖縄核兵器持ち込み密約のように請求情報は核心情報でないと意味がなく、外郭の周辺情報ではあえて請求する意味がない。
(2)ビートルズが1966年に初来日(来日は1度だけ)して武道館でコンサートを開催した時に警備にあたった警視庁が警備の様子を撮影した映像が残されていて、NPO法人が情報公開請求して映像が公開されることになったニュースは当時のメディアでない演出のない資料映像としての違った角度のビートルズのコンサートの模様が見れるとの驚きと大きな期待を持って聞いた。
(3)しかし公開されたのはビートルズが台風の影響で来日が遅れ、未明に羽田空港に着いて4人のビートルズがタラップを降りる映像にコンサートの様子はTVカメラが入らなかった最終日のコンサートのほんの一部の映像で、ほとんどが警視庁の警備体制の資料としての警察官の警備映像に武道館に向かうチケットを手にした観客の数々の映像(情報)ということで、ガッカリさせられた。
(4)その上に識別できるのはビートルズ4人の顔だけで、映像に登場する警察官、観客にタラップを降りる当時のビートルズのエプスタインマネージャーの顔まですべての顔にモザイクがかけられている情報映像だった。
興味、関心の高い映像にモザイクがかかるものほどもどかしく幻滅するものはなく、こんなビートルズ情報映像を見せられては期待が大きいだけに落胆は大きかった(情報映像は見ていない)と思う。
(5)映像公開を請求したNPOも提訴してモザイクのない全面映像公開を求めたが認められなかった。不特定多数が映る映像では自分だけは公開してほしくないと思うのも自由であり、しかしそれが誰でその人だけを特定して隠すことはむずかしくそれなら全面顔を隠して映像公開することになり、全面公開することの関心の高さ、歴史的資料としての公開することの意味、意義の大きさと不特定多数ではあっても個人情報、プライバシー保護の影響、価値観の比較、検討の問題となる。
(6)ビートルズのように世界が注目する世界的なミュージシャンの初来日(1度だけ)のコンサートとなれば、社会的関心も高く武道館周辺に行くだけで何かの映像に映るメディアの取材の対象になることは認識せざるを得ない上でのことであり、映像露出はやむを得ないものでもある。
(7)警視庁のビートルズ来日映像はすでに50年以上も経過しており、当時の映像公開での不利益、非公開の権益、権利侵害は効果が及ばずに情報公開の利益が大きいと判断、理解するのが国民の知る権利からも妥当と考える。