いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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憲法と核兵器。 the constitutional law and a nuclear weapon

2016-03-21 19:36:38 | 日記
 (1)広島選挙区選出の岸田外相が4月に広島市で開催するG7外相会合の打ち合わせ準備のためフランス、イタリアを訪問している。
 かねてから先進国核保有国の政治指導者の被ばく地広島訪問を呼びかけ(報道)てきただけに、G7伊勢志摩サミット開催に合わせて広島で開催される同外相会合出席者の平和記念公園(原爆資料館)訪問を要請する。

 フランス外相との会談では核保有国としての立場もあり、やんわりとかわされていい返事はもらえなかった(本日ニュース)ようだ。

 (2)G7伊勢志摩サミット開催で来日する米国オバマ大統領の広島訪問も実現するのか注目されるところだ。半世紀前に世界唯一の原爆を広島、長崎に投下した当事国の現在の米国大統領として公式に正式にどう責任を明確にするのか、しないのかは世界平和実現、追求にとっては大変に重いインパクトのある影響力を与えることは間違いないところだ。

 ケネディ駐日大使は恒例行事のたびに広島、長崎をいく度か訪れていることもありこれをどう判断するのか、米国大統領の広島訪問となれば世界の注目度、影響力も格段の違い、威力があるので多角的な熟慮が求められるのはいうまでもない。

 (3)そのオバマ大統領は今日から家族を伴って、オバマ外交の集大成として米国88年の時間をかけて国交回復を果たしたキューバを訪れている。
 米国大統領としての広島、長崎訪問もそれ程の時間の準備、交渉、経過を要するものでもある。

 (4)岸田外相が思いを込めて先進国核保有国の外相の広島平和記念公園訪問を要請してフランス、イタリアを訪ねている時も時、折りも折り、日本では法制局長官が参院予算委員会で「(核兵器の使用について)憲法上、禁止されているとは考えていない」(報道)との見解を述べている。
 「あらゆる武器の使用は、わが国を防衛するための必要最小限のものにとどめるべきだ」(同、本ブログ要約)とも述べている。

 (5)安倍政権のつじつまの合わない整合性のない強権政治はことあるごとに書いてきたが、岸田外相の外交努力と法制局長官の憲法解釈の齟齬(そご)は被ばく国日本としては相反するものだ。

 憲法第9条は「国際紛争を解決する手段としての」戦力放棄と交戦権不保持を規定しており、これにより一般的に広く認められている個別的自衛権を行使する自衛隊は銃などの武器使用が法律で厳しく制限されており、「必要最小限のもの」であり、もちろん核兵器などの大量破壊兵器は保有していない。

 (6)自衛のためとはいえ大量破壊兵器の核兵器を保有し、使用するとなれば「必要最大限のもの」であり、本人のいう「必要最小限のものにとどめるべき」に整合しない、言い逃れの自己矛盾(self contradiction)だ。

 それを補うための日米安保軍事同盟による国防、防衛政策だ。憲法解釈上「国際紛争を解決する手段」の限定規定が個別的自衛権の範囲外のものとして自衛的手段を拘束しないとすべきではなく、それが個別的自衛権の行使を容認するものというのがせめて一般的に広く合意容認されている解釈と考えるのが普通だ。

 (7)非核三原則を堅持する日本は原発から再生される核融合物を利用した核兵器製造能力はあり、かっての自民党では核兵器製造、保有を念頭に置いた論議も公然と聞かれたことがある。

 勝手な憲法解釈で核兵器製造、保有をつくり出す論理を弄(もてあそ)ぶ以前に、戦争被ばく国日本としての重い責任と後悔(regret)、教訓(precepts)を非核三原則で示す国是(thesis)をかみしめて、岸田外相の外交努力を後押しすることが政府、法制局の使命であり責任だ。

 (8)憲法の番人といわれ、憲法を維持して適正適用を判断する立場の法制局(長官)の意図的なはみ出し論理は糾弾されるべきだ。

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