いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

米国内のマスコミの変化。 change of mass communication in usa

2018-09-04 19:55:05 | 日記
 (1)米国17才の女子高生のプラスティックストロー廃止の訴えを米国自治体も企業も受け入れて、これが世界的な運動につながっていることは米国の懐の深さ、大きさを示すものだと書いたが、米国も変わったなと思わされるのはトランプさんが支持されて大統領になったこととマスコミ、メディアが一斉にこぞってトランプ大統領のメディア批判に抗議の意思を表明したことだ。

 (2)米国といえば理想主義にもとづいた個人主義が基本理念の社会で、個人の能力をダイナミズム(dynamism)として先進的、先端的、革新的行動力が革命を起こして世界の政治、経済、文化、社会を発展的にリードしてきた国だ。

 その米国でマスコミ、メディアも政権に批判的で一匹狼的な有能記者が政権の問題点、不正を取材して白日のもとにさらけ出す絶大な取材力、報道力を持っていた。
 マスコミ、メディアの論調は国民に信頼と良識、ステータスを持って迎えられて、それだけで権威のあるものと尊敬を持って讃えられるものだった。

 (3)17年の大統領選で当時民主党ヒラリー・クリントン候補を支持して選挙戦を優位に進めていると報道した全国紙の記事が結果として共和党トランプ候補の当選を見誤り信頼を失墜させて、その後トランプ大統領からことあるごとにフェイクニュースとしてヤユされ攻撃の対象とされてきた。

 かっての信頼と良識の報道の米国マスコミ、メディアであればここまで肩入れした偏重した報道はなかった考えられるが、仮にそうであってもなぜそういう間違った報道、偏重した報道が公然と行われたのか自ら間違いを認めて反省、検証が期待できたものだが、そういう度量の大きさ、公平、公正、信頼の話は聞かない。

 (4)そこにきての全米数百社のマスコミ、メディア一体となったトランプ大統領のメディア批判に対する抗議行動で、米国も変わったなと思わせるものだった。
 確固たる主義、主張、理念ではなく、数を頼りの圧力行動でかって国民から信頼され尊敬される良識のマスコミ、メディアの真実を伝える独自の理念、主義、主張のダイナミズムが伝わってこないものだった。

 米国マスコミ、メディアとりわけ新聞はアイフォーン、タブレット時代の中で購読者が減少して、全国紙も地方紙との記事、取材、印刷の提携、協力、共有に活路を求める経営体制に迫られて、かってのマスコミ、メディア独自の理念、主義、思想が失われて国民の信頼とステータスも失っているのではないのか。

 (5)そういう時代を反映した全米数百社のマスコミ、メディアの一斉のトランプ批判のように映る。トランプ大統領誕生で米国の理想主義は放棄されて、保護主義、米国第一主義が幅を利かせている。

 米国は圧倒的な桁違いのGDP世界1位の経済大国であり、民主主義、自由主義世界の政治的リーダー国、軍事大国として唯一の覇権国家としての自負を誇りとしてきたが、その米国が米国のことしか考えない米国利益第一主義をとるならばある意味米国の信頼失墜を自ら認めることであり、マスコミ、メディアとしても確固たる信念、良識で伝えるべき報道はあるはずで、こちらも国内にだけ目を向けていてはその使命、役割を果たしているとはいえない。

 

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