(1)暦上の中秋の名月、深夜におぼろ月が急に雲が流れて見事に顔を出した。今は晩夏、読書をしなくなった。調査では全世代を通じて読書をしないのは最多ということなので、人間の「内なる」ものではなく、「外なる」ものの要因だ。
(2)情報化時代、スマホ、SNS時代の影響が言われるが、読みたい作家、本がなくなったことも大きな要因だ。今、川端康成、三島由紀夫、太宰治などの作家がいて、本を書き発信していればどうか、村上春樹さんの作品が外国語に翻訳されて世界で読まれているが、題材的には近著も含めてなかなか手を伸ばせないところもあり、文体的、思想的問題、作家の強い「個性」、「本質」(essence)として合わないとして通り過ごしてしまうところがある。
(3)もちろん多くが高令社会になって、目が悪くなり、手も不自由になり、脳も働かない身体的原因も十分にある。なかなか「長い文章」に付き合いにくい環境時代で読書離れにつながっている。若い世代もタイパ文化社会といわれて急ぐ、はしょる、せちがらい短縮型文化社会で厚い本を見て読む気がしないことはある。不思議なのは、価値観は高令者と若者は意外と似通ってきている。
(4)作家からすれば、たとえば三島由紀夫のその後の事件を予測するような輪廻転生を描いた「豊饒の海」全4巻は三島がそれを書き終えて出版社に投函して、市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に自ら主宰する楯の会隊員とともに乗り込み、論理的に憲法が否定する自衛隊を改正して正当化するために自衛隊員にクーデター決起をうながした事件を起こした。
(5)自衛隊員に賛同がないとわかると三島はその場で自害した。そういう思い、決意、覚悟がつまって、つながっている「豊饒の海」となれば興味もわくし、何が三島の心をそこまで動かしたのか読み解きたい気持ちにはさせる。
そういう時代的、政治的、社会的背景を強く反映した、投影した文学、本になかなかあえない時代ともいえる。
(6)あれは1970年の事件だから半世紀以上経過して、政治は憲法改正が焦点となっている。自民党は第9条に自衛隊を明記する草案を持つが、三島が生きていれば何を書いたのか、つまりはそういう興味、関心だ。