(1)作家、村上春樹さんが「長年不仲だった父の生涯をたどる手記」を発表した。小説家は創作家であるが、時としてその実ほとんどが自伝あるいは自伝的な作品を残す。
創作のむずかしさに、作家としての作品ルーツ(roots)を示しておきたい考えもあるのだろう。
村上春樹さんの場合は、父が「出征先の中国で捕虜殺害にかかわった可能性に言及し、自身のルーツに絡む負の歴史を直視、継承する覚悟」(報道)による手記だ。
(2)村上春樹さんが小学生の頃に、ほとんど戦争を語らなかった父が「所属部隊で捕虜の中国兵を斬首した際の様子を不意に告白」(報道)して「父の『トラウマ』を『息子である僕が部分的に継承した』」とある。
村上春樹さんがその時すでに父と不仲であったのか、そのことによって不仲になったのかはわからないが、旧日本軍のアジア侵略戦争による歴史認識、賠償問題で中国、韓国と対立が続いていた当事者としての自身の父の戦争の負の歴史、遺産を「直視し継承」する責任、思いだ。
(3)自伝、自伝的というカテゴリー(category)ではない、人類と戦争のおろかな行為、行動に対するアンチテーゼ(antithesis)が感じられるものだ。
自身の父は90才で他界しているが、その前に当時小学生だった村上春樹さんに戦時中の出来事にあえて言及したように、作家として社会思想、現象、事象について積極的に発言する村上春樹さんとして70才を迎えて書き残しておかなければならない歴史証言であったのだろう。
(4)戦争というのは生きるか死ぬかの究極の選択の中で、非日常的な環境、感覚、意識の中で日常的にはあってはならない行動を無意識のうちに起こすことが考えられて、戦争、戦場では理性など働くはずもない人間性を見失う動物本能が支配する世界なのだろうと想像する。
戦争、戦場で起きたことが現代で裁かれることは、過去を教訓として未来を目指すためには必要なことではあるが、何が起きても不思議ではない中での行動、行為を本当に現代が裁けるのかは心の隅にはある。
(5)今回、村上春樹さんは自身のルーツとして不仲な父の戦争時代の負の歴史、遺産を書くことによって心の隅にたえずあったわだかまりを吐露することによって白日のもとにしたわけだ。
これで自身が父をそして自身を裁いたのかはわからないが、作家としてはルーツをあきらかにすることは本質を相手に伝える、知らしめるためには必要なことだったのだろう。
(6)作家というのはどこかでは自伝、自伝的なものは書くのだろうが、それがルーツだからであり、小説家としては現存するつくりものではない自分自身をみつめる、みつける機会でもある。
不仲の父のことを他界してから書くことを、父のトラウマを部分的に継承したその息子として書くことは潔(いさぎよ)いとは思わないが、心の隅には残していけない、おられない年になったということか。
(7)作家としての仕事の宿命のようであり、村上春樹さんも自身(私人格)と作家(法人格)の間で二者を分ける所業としてのルーツをたどる必要があったということだ。
創作のむずかしさに、作家としての作品ルーツ(roots)を示しておきたい考えもあるのだろう。
村上春樹さんの場合は、父が「出征先の中国で捕虜殺害にかかわった可能性に言及し、自身のルーツに絡む負の歴史を直視、継承する覚悟」(報道)による手記だ。
(2)村上春樹さんが小学生の頃に、ほとんど戦争を語らなかった父が「所属部隊で捕虜の中国兵を斬首した際の様子を不意に告白」(報道)して「父の『トラウマ』を『息子である僕が部分的に継承した』」とある。
村上春樹さんがその時すでに父と不仲であったのか、そのことによって不仲になったのかはわからないが、旧日本軍のアジア侵略戦争による歴史認識、賠償問題で中国、韓国と対立が続いていた当事者としての自身の父の戦争の負の歴史、遺産を「直視し継承」する責任、思いだ。
(3)自伝、自伝的というカテゴリー(category)ではない、人類と戦争のおろかな行為、行動に対するアンチテーゼ(antithesis)が感じられるものだ。
自身の父は90才で他界しているが、その前に当時小学生だった村上春樹さんに戦時中の出来事にあえて言及したように、作家として社会思想、現象、事象について積極的に発言する村上春樹さんとして70才を迎えて書き残しておかなければならない歴史証言であったのだろう。
(4)戦争というのは生きるか死ぬかの究極の選択の中で、非日常的な環境、感覚、意識の中で日常的にはあってはならない行動を無意識のうちに起こすことが考えられて、戦争、戦場では理性など働くはずもない人間性を見失う動物本能が支配する世界なのだろうと想像する。
戦争、戦場で起きたことが現代で裁かれることは、過去を教訓として未来を目指すためには必要なことではあるが、何が起きても不思議ではない中での行動、行為を本当に現代が裁けるのかは心の隅にはある。
(5)今回、村上春樹さんは自身のルーツとして不仲な父の戦争時代の負の歴史、遺産を書くことによって心の隅にたえずあったわだかまりを吐露することによって白日のもとにしたわけだ。
これで自身が父をそして自身を裁いたのかはわからないが、作家としてはルーツをあきらかにすることは本質を相手に伝える、知らしめるためには必要なことだったのだろう。
(6)作家というのはどこかでは自伝、自伝的なものは書くのだろうが、それがルーツだからであり、小説家としては現存するつくりものではない自分自身をみつめる、みつける機会でもある。
不仲の父のことを他界してから書くことを、父のトラウマを部分的に継承したその息子として書くことは潔(いさぎよ)いとは思わないが、心の隅には残していけない、おられない年になったということか。
(7)作家としての仕事の宿命のようであり、村上春樹さんも自身(私人格)と作家(法人格)の間で二者を分ける所業としてのルーツをたどる必要があったということだ。