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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

平和的解決論。 peace loving solutionism

2012-09-18 19:32:28 | 日記
 (1)尖閣諸島の領有権(possession rights)問題を巡って中国国内での日本排斥運動が全土(50都市以上)に激化している。すべてが統制国家なので政府機関の目論見でデモ行動がコントロールされているのは報道からも伺いしれる。
 広い国土の多発性のデモが詳細に報道されていることが、政府機関の意図が十分に伝わってくる図式だ。

 一方で70年代には尖閣諸島を一旦は日本の領土として容認し、その後周辺海域に豊富な埋蔵資源のあることがわかって突然に領有権を主張しだした中国の事情、背景が「どういう風」に国民に伝わっているのかは、まったく伝わってこない情報統制の国だ。

 (2)その国民の90%が尖閣諸島の日本の国有化に対抗措置が必要だと感じているという中国メディアの世論調査結果が発表された。
 申し訳もないが、情報統制の国での国民調査といわれても、どれだけの個人的問題意識の中での主体的な意思表示なのかは、日本レベルでの信頼度率とは同じに考えられない。

 (3)中国政府のこの問題に対する強い関心、不退転の意思、決意を12億人の国民総意のものとして国際社会に発信したい意向だ。
 そうして見ると(この問題の解決に)日本と中国で戦争が起きる可能性について52.3%の過半数が肯定しているのは、領有権問題の中国の歴史的判断の不整合性を一向に省(かえり)みない強権性と合わせて、仮に日中間が戦力で対峙するとなると米国を挟んだ戦争行為が大前提で、現在の国際政治、経済事情のそれぞれの立場からは非現実的で考えにくい選択肢となるのはあきらかだ。
 日本の実効支配に対する中国政府のこの問題に対する不退転の強い決意を「国内向け」に示した政策と考えるのが普通だ。

 (4)12億人の国民に広大な国土を有する中国は、国際政治、社会の動向を「利用」した統制性と「国内向け」の発信力が統治行為としての重要な手法だ。国際社会に向けて発信している意思、情報は、国内統治行為、手法としての国民に向けた役割が大きい内容だ。

 そうして国民を煽(あお)って国外への圧力とする情報宣伝操作だ。一方では48%近くが平和的な交渉での解決を求めているデータ(メディア操作)による中国政府の硬軟姿勢に交渉、解決への活路はあるのではないのか。

 (5)海保巡視船レベルで実効支配する尖閣諸島を政府が国有化して問題をこじらせた。そこで領有権問題を平和的に解決する方法(peace loving solutionism of possession rights)はあるのかだ。
 戦後、沖縄は27年経過して米国から日本に返還されたが、現実は米国(米軍)の治外法権化、占領政策継続のままだ。
 同じくソ連(現ロシア)に占領された千島4島は返還交渉の糸口、目途も見えない極めて困難な外交問題だ。

 (6)ねばり強い継続性のある話し合い交渉といっても主権にかかわる問題で、領土問題の原状回復はありえずに相互の利益率配分の問題でどちらかの主張が認められるということはまずない。
 主義主張は別にしておいて、係争地の「共同開発(joint development solutionism)」がせめてもの平和的解決論となる。

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ふくいフェニックス。 tulip 40th concert 2012

2012-09-17 19:28:09 | 日記
 財津和夫さんの「青春の影」は高音、声量、張り、音程と見事ですばらしい出来栄えとなりました。この曲の途中、小節の終わりで会場からワァーと自然発生的に拍手が起きたのは初めての経験でした。
 そして「夢中さ君に」の財津和夫さんのネオンギター、曲の始まりからギター弦の振動に合わせて見事にあちこち点滅しました。鮮やかにきれいなギター・カラー・コーディネートです。

 福井市のフェニックス(phoenix)プラザに来ています。複合施設の中の大きなコンベンションホール(convention hall)でのチューリップ40周年コンサート「ザ・ライブ」です。
 いよいよチューリップも曲の精度をあげてきました。マイクコンディショニング、アンサンブル、コーラス、ハーモニーとすばらしいバンドサウンド、コンサートになりました。

 午後5時30分にブルーライトのスポットライトに映し出されたステージにチューリップ5人が登場してオープニングです。ステージ向かって左からベージュ生地に大柄のチェックのシャーツにベージュのバックスキンの靴できめた安部俊幸(G)、レッド系の長そでシャーツの姫野達也(V G Pf)、濃いパープル系のシャーツの上田雅利(Ds)、淡いグレー生地に細い縦縞のシャーツに濃紺のエナメル靴できめた財津和夫(V G Pf Harmonica)、ブルー系のシャーツの宮城伸一郎(B)です。

 安部俊幸。 
 「私たちが福井に寄せてもらいましたのは前回は2002年でして、10年振りにお目にかかれています。10年ですっかり年をとってしまいました。みなさんも、ですよ。
 最近、自分の老化におかしくて吹きだすことがあるんですが、最近よくやるのは自宅を出るときに、出て何歩か10歩か15歩か歩いているうちにブラシとクツベラを手に持っていることに気付くんです。
 老化の話はメンバーとよくやるんですが、何ですかこういう話をするとみんな楽しそうにワキアイアイになるんで、自分だけじゃないことがわかって緊張の緩和の笑いでなごやかな雰囲気になってしまいます。
 次にお聞きになっていただくのは、チューリップ40周年倉庫の在庫一掃セールの歌をやってしまおうと思っているんですが。」と安部さんが唯一ボーカルをとる「思えば遠くへ来たもんだ」です。

 姫野達也。
 「今歌った安部俊幸とはじめて出会ったのはちょうど18才の時でした。(財津さんが、おまえたちは恋人同士か) それで当時、福岡ではそれぞれ、財津さんもちがうバンドで活動していたんですが、福岡のあるTV局が毎月定例のコンサートをアマチュア対象に番組を開いて財津さんとかボクもよく出ていたんですが、ある時に知らないはじめてのバンドが出ていて安部俊幸のバンドで、やっているのがフォークとかビートルズのフレーズとかもあっていいなと思いまして控室で話をして意気投合して仲良くなりました。」

 財津和夫。 「上田くんがまったく出てこないんだけど、宮城くんにいたっては登場しようもない話なんだけど。」
 上田雅利。 「オレがいつ出るのか待っていたんだけど。ぜんぜん出ないじゃないか。」

 姫野達也。 
 「彼(安部)とふたりでいろいろとたくさん曲をつくってきました。はじめてぼくがつくったオリジナル曲でふるさとを思ってつくったのは2曲ほどあるんですけど、はじめてつくったオリジナル曲は「千鳥橋渋滞」という曲なんでけど、すいません、これ歌うわけじゃないんですが、(財津さんが「骨の折れた傘 あれはばかげた愛」とハミングして何度も姫野の話に割り込んできます。姫野が「うるさいね。もう。」)
 もう1曲の次に歌う曲・・・。

 話、長くなりますけど、いいですか。きのうの夜、神戸からみんなで移動してきまして、夜にみんなでご飯を食べにいったんです。その帰りにコンビニに寄ったんです。ちょっとみんなで一緒に食べたんで遠慮しがちに食べたもので小腹がすいてきたので、コンビニに入ってパンなんかを探したんですがサンドイッチなんかもう棚になくって、時間帯がよくなかったらしくて売り切れてなくなっていて別の棚に行くとコーンとマヨネーズがのっているパンがおすすめと書いてあって買おうとおもったら、うしろに視線を感じてパッと振り向くと財津さんなんです。
 (財津さん 「うしろから見ていたんで黄色いカゴを持ったおばさんがいるなと思ったら、姫野だったんです。」)
 財津さんもそのパンをとったんで、なんか変に気が合うなと思ったんです。

 先っきの話の続きですが、もうひとつのふるさとを思う曲「博多っ娘純情」を歌います。」
 今日の姫野さんは言葉がはっきり一語一語ていねいに伝わってきて、発声もよくなってきました。

 安部さんの「在庫一掃セール」発言とか姫野さんのオフタイムの話題の長い話が1部ステージに色を添えて、財津さんの若いロッックンロールも新鮮さ鮮やかさを運んできました。
 2部ステージは、財津さんの力強い説得力のある歌唱力がさえて「青春の影」、「虹スニ」は圧巻でした。
 アンコールでの財津さんのネオンギターの点滅の鮮やかさも、ギターボディがチューリップそのものの鮮やかさだったのです。

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憲法改正と日米安保。 constitution revision and security pact

2012-09-15 19:34:33 | 日記
 (1)尖閣諸島、竹島の領有権を巡る国際緊張を受けて、興味のある世論調査があった。新聞が実施した憲法に関する面接世論調査だ。
 日本国憲法は、米国の占領政策の円滑な遂行を目的として米国からの押し付け憲法というのが一般的な理解で、戦力不保持、主権在民に代表されるように戦前、戦中の軍国主義体制の復活を警戒し断ち切ったものだ。
 結果としての平和憲法としてその後日本の著しい経済成長、発展に寄与することになる。

 (2)憲法改正(constitution revision)の要件の高さから保守派議員からの自主憲法制定の動きはあっても、平和憲法は一貫して維持されてきた。
 その間、憲法解釈論に移行して、①自衛権の行使容認、②自衛隊の合法化、③PKO活動名目による海外紛争地域への派遣、④集団的自衛権まで容認する考え、⑤武器輸出解禁など実質平和憲法精神性をなし崩しにする国家戦略、方向性が加速している。

 (3)こういう国際関係、社会性の中で同世論調査では、憲法改正に65%が賛成としている。
 理由は「時代に合っていない」が60%で、「制定されてから一度も改正されていない」17%が続いてその状況を補完している。保守派議員がよく言う「米国から押し付けられたから」は10%と少数派だ。

 平和憲法がそれなりに社会に定着している現実感を示すデータだ。改正反対27%の内訳の「改正するほどの積極的理由がない」35%、「9条改正につながる恐れ」28%と合わせた「63%」が平和憲法の社会性定着を裏付けている。

 (4)9条改正については、56%が何らかの改正が必要だと回答している。戦力不保持改正を23%、戦争放棄、戦力不保持改正を20%、戦争放棄改正を8%と合わせて平和憲法の精神性改正を「51%」と過半数が求める結果となった。

 沖縄米軍基地、領有権問題が影響していることが考えられる。保守派の憲法改正論議員が多い自民党は憲法改正草案では自衛隊を国防軍と踏み込んで明記した。

 (5)9条問題は、日米安保条約とも連動して国防の重要政策問題でもある。当初は過去侵略歴史への警戒、占領政策から自衛のための戦力も不保持論から、米国との軍事同盟による安保体制で領土、領海、領空の安全を守る制度、政策だった。
 
 沖縄での米軍基地問題、最近の領有権問題が、9条が「時代に合っていない」(60%)と感じる意識変革につながっているのではないのか。

 (6)しかし、現実問題の「実力」解決を目指す憲法改正などはさらに近隣アジア諸国とのあつれき、摩擦を増長するだけで、さらに日米安保体制の米国との関係悪化、調整難行を招いて、国際関係上身動きがとれなくなるだけだ。

 憲法問題に対する考えを国政選挙の判断にすると71%が答えており、候補者、政党による現在、未来を洞察した説得力のある安全保障政策(security policy)、方針の提示が求められている。

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政治家のうそー(2)。 lie of politician

2012-09-14 19:56:55 | 日記
 (1)かっての自民党政権の在職当時から「うそ」容認発言もあった首相として1年で引責辞任した森元首相が、3党合意にもとづく消費税引き上げ法案成立の交換条件と言われる「近いうち」の解散総選挙について首相は合意にとらわれることなく「うそ(lie of politician)」を言っていいと発言した。

 自民党の長期政権の末期症状時代に首相を務めた元首相たちが、自らの結果責任と政治力のなさをさて置いて棚上げして、最近の民主党政権の低迷、混迷政治に対して自戒もなく野党席から何かと批判めいた発言をくり返している。
 国民にとってはそのどれもこれもの元首相たちの結果責任と政治力について、未だ強烈鮮明に心に無責任と背信として残っているものばかりだから、その厚顔無恥ぶりには驚き以上にこっけいにさえ見えてくる。

 (2)中には代表選への再出馬に意欲を見せているものもいて、言葉ではきれいごとを言ってものど元すぎればの国民をなめきった独善、独断政治を捨てられない政治家の本性を見る想いだ。
 もちろん人間は悔い改めてやり直しの効く再生人生は貴重で教訓的な財産ではあるが、社会権力のパラダイム(paradigm)として身の丈をこころえた、わきまえた活躍の場所を選ぶことも教訓(precepts)であるから、首相当時統治能力も政治責任も果たしてこなかった、できなかった政治家が同じ立場の首相、政治を同じ理念、手法から批判するなどとは、到底理解と支持など得られないことだ。そんな政党は国民の支持など得られない。

 (3)冒頭の「近いうち」解散総選挙の約束など首相の専権事項であって、「うそ」でもいいなどとの元首相の発言などは、自らの既得権、密室、談合政治が常態化した時代の政治感覚での暴言だ。それは09年の本格的政権交代で国民から否定された政治体制、体質だ。
 当時の国民から見放された行状を顧(かえり)みることもなく、同じ感性で関与するとはあってはならない政治行動だ。

 (4)09年の民主党による本格的政権交代で元首相のいう職業政治家による長年の既得権益、密室、談合政治が完全に否定されて、革新的政治理念、理論、改革に国民は期待し支持してそれまでの政治スタイルを完全否定したのだ。

 その後3年余りでその国民の「期待」は完全に裏切られたが、革新的理念、理論までもが否定された訳ではない。政治手法、準備、決意、展望に不足、不十分さが露呈しての失政だ。

 (5)今更、国民に否定された自民党政権時代の政治手法に戻ることなどあってはならないことは、政党支持率10%台の推移であきらかだ。
 政治に「うそ」があってはならないことは国民の評価ではっきりしている。

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日本維新の会の期待と不安。 expectation and uneasiness

2012-09-13 19:47:53 | 日記
  (1)地域政党大阪維新の会が現職国会議員7人の参加を受けて国政選挙に参加し、政党助成金も受けれる国政政党(要件議員5人以上)「日本維新の会」を結党した。
 次期衆院選には公募により350人規模の候補者を擁立する方針だ。国民の既成政党不信、離れを背景に国民の期待と人気を集めての一気の国政参画だ。

 代表の橋下大阪市長のエキセントリック(eccentric)な発言、行政機関、議会との対立を煽(あお)って自己を正当化する政治手法に問題もあり、さしたる実績もない「実体」がよくわからない中での、既成政党不信の政治環境での「反動」としての期待(expectation)、人気を頼りの急いだ国政参加だった。

 政策の中身、実現性、組織、資金など国政政党としての「準備」は十分なのか、大丈夫なのか不安(uneasiness)はあるが、国民の期待、人気はそういった従来の政党概念を超えたところにあるのだろうから、しかし反動ムードに流されない国民の賢明な判断は怠(おこた)りのないようにしたいものだ。
 反面教師としての09年民主党による本格的政権交代があったばかりだ。

 (2)日本維新の会の意思決定方法もよくわからずに、今までのようにオーナー(owner)のまるで橋下さんひとりの意向で動くようなことになるのか、現在の大阪維新の会の同幹事長を務める松井大阪府知事とは意見の微妙な違いもよく見られて、公開の席で同席することも希(まれ)だ。
 オーナーの権限が絶大で面と向かってモノが言えないでは困るが、ひとりひとりが勝手に陰で好きなことを言い合っても困る、どうもオーナー(橋下)とナンバー2(松井)との関係もよくわからない。役割分担して真意を分散、意図的に発信しているきらいもある。

 (3)橋下さんの人気の高さは発言がエキセントリックではあっても、一見社会通念上の善悪の区分、区別のはっきりした断定型で、今まで理不尽、不条理であっても融通をきかしてきた社会悪に対して整然とあらためる実行力にある。
 自治体職員の職務中の特定思想の組合活動、選挙活動は公的組織(組合)の配慮から半ば公然と一般化していたものを、全体の奉仕者としての仕事と個人的な特定思想活動とを区別する正当論を主張し実行するところだ。

 その手法として職員の思想調査を実施し、また断りもなく(断っては効果がないことを理由に)仕事上個人パソコンのメールを勝手に閲覧調査するなどプライバシー侵害の強引な逸脱手法は問題となったが、社会通念、正義のパラダイム(paradigm)が崩れた現在社会では、小気味のいい判断、決断、わかり易い政治手法とも映って人気が高い。

 (4)これらは現在政治、社会の不条理性に対する反面教師、反動としての高い支持であり、けっしてコンプライアンス(compliance)でもなく、健全な思考、手法ではない。
 社会の不条理性に立ち向かう「心意気」がパラドックス(paradox)としてコンプライアンスを逸脱するアイロニー(irony 皮肉)だ。

 しかしそういう現在政治、社会に同化せずに毅然と世直しに突出する「心意気」は、今政治、社会に欠けている部分でもある。
 国民の信頼を失った既成政党議員の中には、日本維新の会の党綱領(維新八策)の政策精度を実現性のない絵空事と片付けるものもいる。

 (5)「1院制」、「議員の半減」、「首相公選制」など党綱領(維新八策)の具体的で裏付けのある実行プログラム、プロセスを提示できるのか、総選挙に対する「09年」の「反動」としての「期待」に応えなければならない時間はそうはない。

 さっそく、同綱領で謳(うた)った「企業、団体献金の禁止」は同国政政党の選挙資金不足から一旦棚上げ(党として受け取る)する意向のようだ。
 やはり結党「準備」の精度、情報公開・発信に「不安」はある。

 

 

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