いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

岸田首相とNATOの変な関係。 the strange relation of premier kishida and NATO

2023-07-12 20:33:49 | 日記
 (1)岸田首相が豪雨災害被害の中、NATO首脳会議出席のために渡欧した。九州地方中心に局地的な豪雨被害が出ている中でのNATO首脳会議出席で問題視されているが、国内で豪雨対策を指揮すべきだとの意見は政府として関係大臣、省庁が直接災害対応すべきことでもあり、岸田首相が従来から予定の外遊と重なったからといって一般論として国内に留まる必要性は低い。

 (2)問題はNATO首脳会議といえば日本を除くG7国首脳が参加するもので、これに日本が参加すればG7サミットともいえるもので岸田首相のNATO首脳会議出席は意味がないわけではない。しかしNATO首脳会議に岸田首相が出席することの意味、意義については疑問、問題がある。

 (3)NATO東京事務所開設が唐突に報道されて日本にとって関係性がわからないもので、仏マクロン大統領もNATO東京事務所開設に反対の意向を示している。日本は米欧諸国と中国の海洋進出に複数国家間同盟で対抗する戦略を講じており、この上NATO東京事務所開設で中国をことさら挑発するとの懸念はあり、NATO東京事務所開設は国民が理解するのに唐突すぎる決定だ。

 (4)冒頭、岸田首相のNATO首脳会議出席はG7サミット効果もあると書いたが、今年5月にG7広島サミットを終えたばかりで岸田首相のNATO首脳会議出席、NATO東京事務所開設は日本が米国主導のNATO戦略に巻き込まれ、ウクライナ戦争、中露との対立構図に引き込まれる懸念をみせるものだ。日本は中国との関係改善に取り組まなければならない立場にもある。

 (5)米国がウクライナへのクラスター爆弾供与を表明したことに対しても製造、使用を禁じるオスロ条約に日本は加盟しており、同じ加盟国の英、加の首脳はオスロ条約を守ると供与反対の声明を示しているが、日本の立場はあいまいで条約加盟国として反対の表明もない米国追随姿勢がみられる。

 (6)岸田首相のNATO首脳会議出席は、遠く離れたアジア国の日本としての出席の不自然さが際立ち必然性が伝わらないもので、豪雨災害のさなかの岸田首相のNATO首脳会議出席はNATO東京事務所開設とともに日本の外交姿勢の主体性のなさばかりが目立つものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検察と国民と守るもの。public prosecutor & nation & something to protect

2023-07-11 20:31:45 | 日記
 (1)これまでも検察組織としてえん罪(死刑判決確定後の無罪)事件はいくつか存在して、世間の注目を集めた未解決事件もある。記憶に残る中にも大阪地検による厚労省障害者郵便制度悪用事件での証拠ねつ造事件もあって取り調べの可視化につながった。

 (2)こういう検察組織に国民の身分、人権、財産、安全、生活、自由が委ねられているかと思うと、安心してはいられない。袴田事件は死刑判決確定後に再審請求審が実施されて再審公判での検察側の判断、出方が注目されたが、検察側は新証拠提出による再び有罪立証の方針を示した。

 (3)検察側は有力と判断する新証拠をどうしてもっと早く提出しなかったのかの問題はあり、すでに当時の事情を知る検察関係者も多分いなくて袴田さん(87)自身も高令病身で説明能力もなく、再審公判で新証拠といわれるものが提出されてもこれまでの証拠のあたらしい科学的知見にもとづくもので、これまでの判断の否定、肯定する2通りの見方があるというものであり、これだけで死刑判決の再審公判を維持することはできないのではないか。

 (4)元判事の弁護士からも「これまでの裁判所の審理で退けられてきたものばかりで、再審無罪の流れは変わらないだろう」(報道)と述べている。別の事件報道で「犯罪者に利する」とか一方で「助命嘆願」が読者から多数来ていることを書いたが、事件は裁判による公平、公正な審理で判例にもとづき判断されるもので余人の介入できるものではなく、まして当時の裁判関係者が現存しないか当事者が説明能力もないとなれば余程のことでもなければすでに真実を解明することなどむずかしい。

 (5)日本の裁判審理は他国に比べて長いことが問題となってえん罪(無罪)事件もいくつかみられて、信頼回復からのあせりからの検察による証拠ねつ造事件もある。検察の出直し論が言われて、今またそれにこだわった再審公判での新証拠提出なのかもしれないが、事は真実、事実の証明、審理でありやはりこれもどうして新証拠の提出が今なのかの問題、疑問はある。

 (6)もちろん再審請求審はすべてがあきらかになったわけではなく、事件の真実、事実の証明は求められるものではあるが、さらに求められるものは国民の身分、人権、財産、安全、生活、自由だ。

 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由の理念に阻まれて。 blocked by an idea of freedom

2023-07-10 20:34:59 | 日記
 (1)メディアが旧統一教会問題を盛んにとりあげていた頃に宗教2世問題が特集されてこれに「犯罪者を利する」とする声があったといわれ、一方で安倍元首相銃撃事件の実行容疑者に対して報道される家庭事情に対して「助命嘆願」が多数来ている報道が見られた。
 メディアは公平、公正、自由な立場から事件の事実の背景を掘り下げて読者にニュースを提供するものだが、事実、真実により近づかなければ説得力、理解力を欠いて事件のら列紹介に終わってしまう。

 (2)もちろん犯行の凶暴性、計画性、被害性を伝えず事件実行者を被害者扱いすることなどできないし、その責任性は判例にもとづいて裁判審理で解明される事実、真実にもとづいて公平、公正、平等に妥当な審理判決されるものだから、国民社会としては各個人それぞれにいろんな意見、思いはあるだろうが「犯罪者を利する」や実行容疑者の「助命嘆願」は拙速無益で裁判制度を無視した法治国家の国民としてあるべき言論、思想の自由に合致したものとはいえない。

 (3)言論、思想の自由が無制限、無制約でないことを意味する。言論、思想の自由、信教の自由、結社の自由が宗教団体の存在、活動を保障するもので、今回の旧統一教会金銭被害、人権問題では昨年岸田首相が法律にもとづいて旧統一教会解散請求を視野に質問権行使を表明し、文科相のもとで旧統一教会とのやり取りが続いているが、文科省の質問権が何度も何度も行使されるだけで一向に事件証明のとりまとめに近づいた報告もなく、最近では旧統一教会からの回答内容も減り回答しない項目も増えているといわれる。

 (4)文科相は質問権を何度も何度も行使するだけで、旧統一教会側はどういう回答をしているのかわからずに事態はこう着して、昨年旧統一教会解散請求に意欲を示した岸田首相からは最近はまったく言及もない変わりようだ。
 結局は憲法が保障する理念に阻まれて、旧統一教会問題に簡単には切り込めない自由主義国家の限界をみせられている。

 (5)こういうことが前述のような国民の報道に対する「犯罪者を利する」意見に犯罪実行容疑者の「助命嘆願」に向かわせている無軌道で無秩序、不条理性(unreasonableness)となってあらわれていると解釈する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民の改革必要論。 the theory of necessity of national innovation

2023-07-08 20:15:14 | 日記
 (1)政治、政党の抱える問題、課題を指摘し、改革するのは国民の「仕事」だが、それでは国民の抱える問題、課題を指摘し、改革するのは誰か、どこか、政治、政党も自己に不利益が回ってくるからそんなことには目を閉じてやらずに国民に媚びを売るだけだから、つまりは国民自身が我が身を振り返り自覚するしかない。

 (2)もちろんこれが一番やっかいでむずかしい「仕事」で、政治、政党が国民の利益になることをやるうちは利益を受ける人は満足だから国家、社会全体をみることはなく現状に甘んじることになる。
 利益を受けられない国民は不満、不平を訴えるが、利益を受ける国民の前では共感を得られずに大きな声にはならない。

 (3)つまりは政治改革で問題なのは政治、政党ではなく、「国民」をどう改革するのかが大きな問題だ。現在の日本の政治は国民の圧倒的な支持による09年民主党による本格的政権交代が革新的政策の財源保障もなく、保守、革新混在の党内抗争にあけくれて「決めれない政治」のまま3年半で自壊した国民の苦いトラウマからその後自民党一強時代が続いて、野党には国民支持は集まらない弱小野党の政治状況が続いている。

 (4)もはや国民には野党には期待も希望もないから、政権がするがままの利益を享受するだけの小市民的国民意識(the petite bourgeoisie)でしかない。安倍元首相が銃撃されて亡くなって1年を迎えた。
 安倍元首相の官邸主導による政治手法、その後の菅前首相、岸田現首相の国会軽視の独断専行政治に対してメディアでは民主主義を立て直す時だとして国民の声をていねいにすくいあげることこそ政治の果たすべき役割(社説)と主張している。

 (5)しかし前述したようにその国民は野党には失望して、自民党の言うことしか聞かない小市民的国民意識だ。政治に責任を持つのは最後は誰か、どこかといえば、議院内閣制民主主義国家では議員を選ぶ「国民(有権者)」でしかない。

 (6)その国民が自己利益しか見ずに自分の生活がよければそれでいいという小市民的国民意識では、政治が国民の声をすくい上げてもそれは大企業、富裕層優遇の政治であり、弱者の声が届かない分断社会の政治でしかない。

 (7)国民を、社会全体の利益を重視して公平で公正、平等な社会正義、政治を実現するためのものとして改革することを真剣に考えなければ、民主主義は後退するだけだ。
 政治は国民の程度のものしか持ち得ないという言葉を理解したい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕と安部俊幸。 the star of `Tanabata' and the star of Guitar

2023-07-07 20:32:49 | 日記
 (1)7月7日は日本では七夕で竹の葉に短冊で願い事を書いて飾るという風習がある。日本では1月~6月を1年として、7月~12月を次のあたらしい1年にするという社会思想、物語(narrative)があるといわれて、1月正月のおみくじを枝に結ぶ風習に相当するものとして、7月新年の七夕の短冊に願い事を書く風習があるのかもしれないと思える。

 (2)7月7日はTulipにとってもメンバーのギタリスト安部俊幸さんが亡くなった日で、もう11年立つ。安部俊幸さんはTulipのギタリストとして注目を集めながら、何事にも「普通人」として生きることにこだわりがあり、世間から注目を集めることを嫌ってそういう世間にはソッポを向けることがよくあった。

 (3)コンサートでも宿泊ホテルが近ければひとり徒歩でコンサート会場入りするところを見かけたことがあり、またコンサート終了後にはひとり電車を利用して帰ることもあった。だから普通に接すれば人を大切にしてサービス精神もあり、みんな同じでひとつ(inclusive)という現代社会で求められている包摂的な生き方のハシリの人だった。

 (4)存在がかっこいい人で、ギターを弾く姿もかっこよくて、安部俊幸さんといえば大きめのギターの赤のギブソンES335が長身に似合っていて、これは随分昔に米国のギタリストから譲り受けたものをずっと愛用して使っており(資料)、安部俊幸さんの独特の音(ギターのコードも新品より少々サビのついたものが好きと言っていたことがある)と節回しがあってそれとすぐわかるものだった。

 (5)そのTulipが今日7月7日に福岡で50年コンサートを安部俊幸さんのために(と言っていい)開催している。Tulipは80年にドラムス上田雅利さん、ベース吉田彰さんが脱退し、85年にはギター安部俊幸さん、ギター、Vo、ピアノ姫野達也さんが脱退をしてオリジナルメンバーとしてはギター、Vo、ピアノ、詞曲、いろいろのオーナー財津和夫さんだけになった。

 (6)Tulipの倒産だ。当時の文献を見るとリーダーの財津和夫さんがつくり出す音楽の質、性能、技術に極めて高みを求めてこだわり、コンサート中心のTulipでコンサート終了後に財津さんがシャワーを浴びてバスローブを巻いたままの姿でメンバーのところに向かい毎回厳しい反省会があったとの話の背景があったといわれる。

 (7)元ラジオディレクターの塩瀬修身さんがその後のTulip再結成コンサートのリハーサルに立ち会って、財津さんがニコニコとなごやかにメンバーと楽しそうにリハーサルをしているのを見て当時の安部さんに「あんな財津くんを見るのは初めてだ」と言ったといわれて、安部さんも「ぼくも初めてです」と言ったといわれる。

 (8)7月7日の七夕は日本からは三つの星(star)が輝いて見えるだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする