(1)常識というのも時代、社会によって変わるものではあるが、「今」の世の中では何が起きてもおかしくない「常識」社会だ。ミャンマーで日本人高校生2人が特殊詐欺に関与した疑いで保護された。報道によるとオンラインゲームで知り合った者に「海外でもうかる仕事がある」として航空券が送られてきて、現地で特殊詐欺の仲間に入れられるという話しだ。
(2)高校生がどうやっていきなり海外に出かけられたのか、どういう家庭なのか、どういう高校なのかわからない。オンラインゲームの高校生にとってはゲーム感覚の続きなのだろうか、今始まった話ではないので東南アジアが関与した「トク・リュウ犯罪」というのはスマホ、ネットで見聞きしているだろうし、そうも関単に帰る保証もなく取り込まれるのは理解できない現実の話だ。
(3)まったく不審に思わない理性に完全に家庭がネグレクト(neglect)で親子関係が不連続で崩壊している実像だ。世界は米国巨大IT企業群のCEOが能力主義で巨額の富、収入をあげてヒーローとなって、彼らは一様にフランクで公式の席でもセーターにジーンズでそれは高校生の日常と同じで親近感があり、自分もゲーム取得感覚でそういう世界に入れる君臨できるという錯覚的常識にとらわれる願望論があるのではないか。
(4)強い願望、あこがれはオンラインゲームの世界では「実現」できるものであり、さらにメタバースの世界ではアバター(分身)が画面の中に入り込み存在して自由に誰とでもつながる仮想現実(virtual reality)を映しだしており、夢中になればなるほどバーチャル現実とリアル現実が区別できない同一性を持ってこうすれば夢が実現すると強い錯覚常識に陥っているのではないか。
(5)こういう錯覚論というのはオンラインゲーム、メタバースでなくても現実社会でも襲われる感覚であり、孤独、ひとりでは抗しきれない不確実性がある。やはり仲間、友人(それも多様であればいいが)、学校(極めて重要な比較価値観の場所)、社会、組織の中で判断力、選別力、選択力、批判力を自然に身につけて人間成長することが求められる。
(6)どうでしょうか、米巨大IT企業群のCEOが収入に見合った高価なスーツにタイ、クツで登場してのそうは手の届かない違いをみせつけてくれないものかとも思う。現実は仮想現実ほど甘くはない(reality is not as sweet as virtual reality)。