ネオ・ウルトラQ 第8話「思い出は惑星(ほし)を越えて」
祝!総天然色ウルトラQ、テレビ初放送!時期は5月だそうで。個人的にウルトラQは白黒だからこその良さがあると思うのですが、見ないうちに否定をするのも何ですし、カラー版にも期待するとします。
さて今回は1人の地球人を、自分の星の教皇の意思が宿った後継者として迎えに来た宇宙人の話。遺伝するのは血脈に刻まれた因縁特徴だけではなく、その意思もまた遺伝するというのがギ・ノール星人のハタの言葉。今回浩一が国境無き医師団に志願したのも、そういった教皇の意思がどこかで受け継がれていたのかもしれません。地球に新たに転生したからには、地球で出来る事を成す。日本には教皇の力が無くても助かる人は大勢いるかもしれないが、その他の地域ではそうとは限らない。人が行かない所へ、より多くの人を救うために立ち上がる。教皇はきっと誰よりも民の幸福を願った人物なのだろうなと。
ただいきなり教皇がどうのと言われても信じられるはずも無く。正平ならば・・・と思いましたが、これまで怪獣やら宇宙人を見ているのにも関わらず、ハタが宇宙人であるとはなかなか信じようとしていませんでした。まぁ見た目人間だしなぁ・・・
もちろん意思が遺伝するというのはハタやギ・ノール星の考えであり、それが正しいのかどうかを証明するのは難しいと思います。しかし、それを信じて疑わないハタたちの行動を見ていると、実際にそうなのだろうと感じました。浩一が教皇の意思を受け継いでいるか分からないと思っていたのでは、自分の命をかけて誰かを守る事なんて出来ないと思います。言葉ではなく、その行動でハタは真実を見せてくれました。
ギ・ノール星の問題は、自分達で解決しなければならない。もちろん浩一が教皇として戻れば事態は治まるかもしれません。しかしいつまでも1人の教皇に頼っていかなければならないのか。教皇が死んでから行動するのではなく、生きているうちに教皇の意思を引き継ぐ人物もいるのではないでしょうか。ギ・ノール星に、立派な後継者が生まれると良いですね。
「国境なき医師団」に参加する事を決めていた浩一に対し、「私より恵まれない子が大事?」と問いかけた敬子。浩一は敬子のその問いかけそのものではなく、「恵まれない子」という発言に苛立ちを感じていました。
「恵まれない子」というのは勝手な言い方だなと感じます。「恵まれない子に愛の手を」と言われて想像する風景もありますが、それはあくまでも私が思ってしまった子供の姿であり、その子供が本当に恵まれていないかどうかは、その子供にしか分からないのでは。
「恵まれない」というのは「自分は恵まれている」という思いがある気がします。一体何を基準にして「恵まれない」と指し示しているのでしょうね。金があれば恵まれているのか、医療制度が完備していれば恵まれているのか・・・恵まれている・いないは見た目だけでは決して判断できないものだと思います。
とはいえ、そういった思いから発展する、様々な活動に関しては悪く言うつもりは全くありません。「『恵まれない子』なんて言い方をするな!」と言う事は簡単に出来ても、実際そういった子供たちを救っている活動は簡単に真似できるものではありませんし。「恵まれているかどうかは本人にしか分からないから、助けるのはよそう」というのも違う気がします。表現に思うところはあれども、それは誰かを救いたいという思いに変わりありませんし、立派な活動だなと思います。
思い出は惑星を越えて。ウルトラQというよりは後のウルトラシリーズに出てきそうなサブタイトルでした。聞いた事も無い、会った時間もほんの数十分。けれども彼の行動や歌は、何故か浩一の涙を誘いました。そこには浩一の中にいる、教皇の感情も含まれているのでしょうね。自分に着き従い、迎えに来てくれた上に、命を守ってくれたハタ。彼との様々な思い出が、教皇から浩一に伝わり、涙となったのでしょう。ハタの願いどおり、浩一には立派な医師となってもらいたいです。
さて次回はバルンガのような怪獣プラーナ登場。「人間にとって救世主のような怪獣」は、大体嫌な方向にしか話が動かない気がします(汗。
祝!総天然色ウルトラQ、テレビ初放送!時期は5月だそうで。個人的にウルトラQは白黒だからこその良さがあると思うのですが、見ないうちに否定をするのも何ですし、カラー版にも期待するとします。
さて今回は1人の地球人を、自分の星の教皇の意思が宿った後継者として迎えに来た宇宙人の話。遺伝するのは血脈に刻まれた
ただいきなり教皇がどうのと言われても信じられるはずも無く。正平ならば・・・と思いましたが、これまで怪獣やら宇宙人を見ているのにも関わらず、ハタが宇宙人であるとはなかなか信じようとしていませんでした。まぁ見た目人間だしなぁ・・・
もちろん意思が遺伝するというのはハタやギ・ノール星の考えであり、それが正しいのかどうかを証明するのは難しいと思います。しかし、それを信じて疑わないハタたちの行動を見ていると、実際にそうなのだろうと感じました。浩一が教皇の意思を受け継いでいるか分からないと思っていたのでは、自分の命をかけて誰かを守る事なんて出来ないと思います。言葉ではなく、その行動でハタは真実を見せてくれました。
ギ・ノール星の問題は、自分達で解決しなければならない。もちろん浩一が教皇として戻れば事態は治まるかもしれません。しかしいつまでも1人の教皇に頼っていかなければならないのか。教皇が死んでから行動するのではなく、生きているうちに教皇の意思を引き継ぐ人物もいるのではないでしょうか。ギ・ノール星に、立派な後継者が生まれると良いですね。
「国境なき医師団」に参加する事を決めていた浩一に対し、「私より恵まれない子が大事?」と問いかけた敬子。浩一は敬子のその問いかけそのものではなく、「恵まれない子」という発言に苛立ちを感じていました。
「恵まれない子」というのは勝手な言い方だなと感じます。「恵まれない子に愛の手を」と言われて想像する風景もありますが、それはあくまでも私が思ってしまった子供の姿であり、その子供が本当に恵まれていないかどうかは、その子供にしか分からないのでは。
「恵まれない」というのは「自分は恵まれている」という思いがある気がします。一体何を基準にして「恵まれない」と指し示しているのでしょうね。金があれば恵まれているのか、医療制度が完備していれば恵まれているのか・・・恵まれている・いないは見た目だけでは決して判断できないものだと思います。
とはいえ、そういった思いから発展する、様々な活動に関しては悪く言うつもりは全くありません。「『恵まれない子』なんて言い方をするな!」と言う事は簡単に出来ても、実際そういった子供たちを救っている活動は簡単に真似できるものではありませんし。「恵まれているかどうかは本人にしか分からないから、助けるのはよそう」というのも違う気がします。表現に思うところはあれども、それは誰かを救いたいという思いに変わりありませんし、立派な活動だなと思います。
思い出は惑星を越えて。ウルトラQというよりは後のウルトラシリーズに出てきそうなサブタイトルでした。聞いた事も無い、会った時間もほんの数十分。けれども彼の行動や歌は、何故か浩一の涙を誘いました。そこには浩一の中にいる、教皇の感情も含まれているのでしょうね。自分に着き従い、迎えに来てくれた上に、命を守ってくれたハタ。彼との様々な思い出が、教皇から浩一に伝わり、涙となったのでしょう。ハタの願いどおり、浩一には立派な医師となってもらいたいです。
さて次回はバルンガのような怪獣プラーナ登場。「人間にとって救世主のような怪獣」は、大体嫌な方向にしか話が動かない気がします(汗。