18〜19世紀のイギリスにとって、イチバン大切な植民地はインド、インド経営は大英帝国の宝の山・魔法のツエ、なんとしてでも死守しなければならない。
次いで中国か、ニッポンという奇妙な国は、彼らには面食らうトコロが多かったようだ、「大君の都」の著者・イギリス公使・オールコック(Ratherford Alcock 1809-1897)はロンドンでの講演で、ニッポンには、
「ヨーロッパに似た封建制がある・・・」
当時、膨張を始めたロシアが頭痛のタネでなんとしてでもこれを阻止しなければならない、そう、彼らの台所で金庫のインドがあぶなくなる、ところで、どちらを利用しようか、
「朝廷側か 幕府側か」
彼らは天皇側を選ぶ、
「勝ち馬に 賭(か)けろ」
ここに近代日本の不幸があると思う、江戸時代には、高度な町人文化が育っていた、だから今でも人気がある、それを巧みに破壊したのがイギリスではあるまいか、坂口安吾は、本当の張本人は、
「歴史の裏に隠れていいて 手の内を見せない」
さて、当時、東洋艦隊の兵力でニッポンに割けるのは、せいぜい数百か、千・二千を割けば中国があぶない、さらにインドもおかしくなる、植民地経営のノウハウはすでに習得ズミ、ある部族をおだてあげ他の部族をおさえる、
「両方が タタキ合い 共倒れになるといいんだが・・・」
現地の勢力が弱くなれば、それでいい、シビアな政治政策だろう。