The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

Akiyama女史とTax Haven 秋

2017-07-25 05:36:02 | 世界経済
 
 「天才」は、これは、近代的概念であり、すべてが神のモノとコトであった中世(ヨーロッパ世界)にあっては、人間の天才はヒツヨーでは無かった。

 近代の初期には天才の需要が多かった、天才は才能以上だが、これは、ちょっと分からない、とんでもないところからヒントをつかんでくる、しかし、今は天才にとって不遇な時代で、最先端の研究では、数千どころか数万・数十万いや数百万の素材やデーターから、最高・最適なモノを見つけてくる、これでは出番がない。

 それでは、彼らのタッチできない世界、宗教的天才ではどうか、ワタシは多くの宗教者と出会ってきた、
 1、Catholic禅の愛宮神父 
 2、インド仏教の心意識研究の権威
 3、イナズマの閃(ひらめ)きの禅宗の師家(しけ)・・・

 彼らは宗教人としては、打つ手がミエミエで、その本意(ほい)が分からないことはない、それはイヤミでもある、この時、ひとつの顔が浮かんだ、少年時代を過ごした古刹(こさつ)の老僧だ。

 小学の5年生だったか、8月の下旬、井戸端で半紙を広げている、前の日に習字の会があり、子供たちが書き損じた半紙を捨てていった、
 「のびやかでやわらかなセン 立ち上がるイノチのかなしみ」
 「新鮮で 自由で 溌剌(はつらつ)としている」
 「これは この時期でしか 書けないものだ」
 「・・・」
 「空海や道元も およばない」

 そして、傍(かたわら)の葡萄(ぶどう)の樹を指さし、
 「来年は 実をつけそうだ そしたら マコト君にも上げようね」

 この人こそが、「宗教者」だったと思う。