そのガスは、エジプトのあのガスのように静かであった、だが閉ざされた部屋だから徐々に立ち上がってくる、そこで、老人や病人の上に男たちが、その上に屈強なマッチョやスポーツマンが、やがて静かになる、そこには固まったヒトのタワーができていた。
カタク・カタク絡(から)まったヒトのカタマリをほどくために、
「先端の曲がった鉄の棒が発明された」
これで引っかけて引っぺがし、バラバラにした、この記録は、ユダヤ人女性のもので大戦後ニューヨークで発表され、あのEinsteinが推薦していた。
また収容所の所長の記録では、初期のチクロンBは濃かったようだ、
「それは すさまじいシーンだった」
そのあまり、
「よくおぼえていないのだ」
「記憶が 飛んでしまった」
ガス室で殺されて兵士の中に、あのスターリンの息子がいた、これは、なにかの手違いではあるまいか、スターリンの息子なら重要なカードになる、どうしてそうなったのか。
ガス室の前で5〜6歳の子供が遊び始めてしまった、その可愛さ・あどけなさ、悪魔でさえほほえむであろう、母親が必死のマナジリで、
「この子だけは この子だけは」
収容所所長・ルドルフ・ヘスの記録である。