「日の本」の「の」を取れば「日本」、さあー、とんでもないことになった、この列島が「倭(わ)」と呼ばれていた時代に、この列島の東北部に「日の本」・「日本」が存在していたのか。
さらに、日本書記の景行天皇紀に登場する「日高見国(ひたかみこく)が、この「日の本・日本」らしい、
「日高見国から常陸を経て甲斐の国の酒折宮に滞在する 上総から陸奥 葦浦・玉浦から蝦夷の元へ行き平定し、蝦夷を俘囚となして連れて帰る・・・」
関東の異民族の反乱が連続していた、だから討伐にいそがしかったんだろう、北上川の元は「日高見川」、この地方一帯が、日高身の国だったのかもしれない、私は、まだ、ここに行っていない、何か痕跡があるだろうか。
ところで古代・中世の日本列島のオモテ玄関は日本海側であった、ここは太平洋側、どう考えたらいいか、もうひとつのファクター、ややこしくなるが、触れておこう。
三内丸山遺跡は壮大だが、この列島にはストーンサークルをもたらしたグループがおり、彼らは列島を飛騨高山あたりまで南下しており、ここで、列島を北上する南方系の巨石文化グループと接触していた、この北方系の人々、
「リンゴの赤い実のなるトコロに ストーンサークルがある」
見ても見ない研究者が多いようだ、
「そんなコトに触れたら 指導教授に睨(にら)まれるからね」
京都の政権の方針が未だに威力を発しているのかもしれない