The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

柏紋とmenorah

2008-12-16 05:35:17 | Weblog
 「イスラエルの大使が指摘した紋章はどうかな」
 「ああ神社の紋章だね」
 「そう、それそれ」
 「柏紋だね」
 「メノーラに見えなくもない、3つのメノーラが集まっている」
 「確かにね、だが・・・」
 「だが、なんだい」
 「ユダヤ教ではこんな扱いは許されないと思うよ」
 「許されないというと」
 「非常に厳密に規定されているんだからね」
 「なるほど、激しい嫉妬深い神だった」
 「そう、やさしい穏やかな曖昧な神ではない、だから・・・」
 「こんないい加減なでたらめな扱いは許さないっていうことか」
 「その通りだと思うね」
 「ユダヤ教を捨てた10部族の民が、それを、記憶に刻み付けるために数多くある神紋から、これを選択したという可能性はないかな」
 「アニメちっくだな、まあ、ないだろうね」 

イスラエル大使の絶望

2008-12-12 05:26:39 | Weblog
 「ところで、神明神社の裏手にある石積みの祭壇はどうだろう、すいぶん変わったものだ、日本にはないんじゃあないかな」
 「『出エジプト記』にある寸法と照らし合わせてみないと何とも言えないだろう」
 「タテ・ヨコ・高さ、そのサイズは厳命されている、まだ崩れていないんだから、計測は可能だろう」
 「もう、だれかがやっているさ」
 「ところで、コーエン氏ががっかりした原因は何かな」
 「子孫がいるんだ、その祭壇を作った人々の子孫が」
 「失われた10部族の子孫か」
 「そういうことになるのかな」
 「秦族の弓月氏とともにやって来たんだったね」
 「四国の山中に住む彼らは、何百年に渡って、火を絶やさない・火を受け継いでいく伝統を守ってきた」
 「それはモーセ五書に記載されていることだ、いいじゃあないか」
 「だが、それだけなんだ」
 「それだけと言うと」
 「ユダヤ教を信じている痕跡がない」
 「・・・ 」
 「無知で素朴で、日本のどこにでもいる山の民なんだな」
 「・・・ 」
 「神と契約して世界を切り拓いていこうというあの熱烈たる信仰心がない、あの壮大な理想と情熱のカケラがない」
 「失望したんだ、前の大使」
 「ユダヤ教を信仰しないことにはユダヤ人とは言えない」
 「それで何も言わずに帰っていったんだ」
 「そういうことかな」

イスラエル大使の帰国

2008-12-11 03:00:43 | Weblog

 K君が、
 「ところで、四国の方はどうなった、前のイスラエル大使が出かけていったね」
 「その後の経過が伝わってこない」
 「元気な大使、黙って帰国しちゃったんだ」
 「というと、それほどでは無かったということかな」
 「『それほど』の中身だね、問題は」
 「なるほど中身か」
 「神明神社に行って『ここにメノーラ・menorahがある』って言ったんだろ」
 「ふふふ、そういうことがあったらしいね」
 「実際はどうなの」
 「それは、そう見えないこともない」
 「歯にものが挟まったような言い方だね」
 「まあね」
 「いいかげん言ったら」
 「あれは神紋の『柏紋』なんだ」
 「柏の葉の紋章、それを見て・・・」
 「そう、神社には多いね」
 「それじゃあ思い過ごしだな」
 「まあ、そういうことになるんだがね」
 「ははあ、なにか思いついたな」
 「うん、メノーラをカモフラジュして神社の神紋にしたのじゃあないかってね」
 「考えたね」
 「それはないね、あの厳格なユダヤ教では、それは、絶対神への冒涜になる」
 「トーラで厳密に規定されていたな ― 出エジプト記 25-31 ― 」 

失われたユダヤの10部族

2008-12-10 06:11:29 | Weblog

 ユダヤの10部族が日本列島にやって来て、古代の国家建設に関与したという説があり、時々、テレビ・雑誌で取り上げられる。
 「青い瞳の日本人」となんらかの関係があるのであろうか。
 もし、ユダヤ民族が来訪していたとしたらその証拠が無ければならぬ、「証拠」はメノーラ・七枝の燭台とトーラ・モーセ五書であろう、あと動物供犠があるにはあるが、これは他の遊牧民族にもある。
 ところで平安時代の初期に、牛を犠牲にする儀式が流行して大騒ぎになったことがある、これに対して仏教教団が反撃に出ていて、ちょっとした宗教戦争になっていた。
 横浜生まれのK君とこの問題について語りあってみた、彼は根っからの浜っ子で目から鼻に抜けるような頭の回転である、私が、
 「インターネットに青い目に関するサイトがあって、『私の目はブルーです、私の一族には青い目の人がたくさんいます、ちなみに私の家は神官です、この神社を中心にして、代々、過ごしてきました』というのがあった」
 「どこの人なんだろう」
 「残念ながらメール番号が無かった」
 「確かめられないんだ」
 「ああ、それ以上はね」
 「だけど・・・」
 「そう、私の推測が正しければ、これは絵に描いたようなケースになる」
 「なんらかの理由で、この列島に渡来したグループ、彼らはモンゴロイドでは無いことになる」
 「明らかにね」
 「彼らは、自分たちの宗教を神道にデフォルメして地域で生活する方法を選択した」
 「いつごろのことだろう」
 「だいぶ古いんじゃあないかな」
 「君はユダヤの失われた10部族だと思っているのかね」
 「このケースは違うようだ」
 「なるほど、特定しない方がいいか」
 「そう、決めつけない方がいいようだね」

色調の遺伝性

2008-12-08 06:29:17 | Weblog
 色調の遺伝性を認める学者がいる、彼らは青色より褐色が優性に遺伝すると出張していう、これは確認している。
 この虹彩色調についての研究は少ないようだ、ずいぶん探したのだが見つけることができなかった。
 ところで、数百年を経ても東北の一地域に、かなりの青い瞳の人がいるということが事実であるとすれば、過去のある時点で、相当多量のDNAがミックスされたと考えるべきかもしれない、そして、血族結婚や同族結婚によって、そのDNAが保持されてきたのではあるまいか。
 数少ないデータの中に次のようなものがあった、
                  淡色   中間色  暗色
  デンマーク男子学生   62・8%  29・1   8・1
  スコットランド学生     44・7    32・3  22・5
  日本人            0・7     9・3  91・0  

 日本人は圧倒的に暗色、この統計では0・7%になっていた、200人に1人ということになる、このへんが妥当なのかもしれない。
 だから、山浦博士が東北で採集した15・2%の碧眼度のデータが真実であるならば、極めて画期的な調査ということになる。
 日本の古代に、ある決定的な出来事があった可能性が大きくなる。    

虹彩色調の変化

2008-12-07 06:17:45 | Weblog

 瞳の色とは、厳密には虹彩・irisの色ことであった。
 「虹彩」は眼の水晶体の周囲を包む膜で、眼球正面から角膜を通して見える部分である。
 この虹彩は色素を含み、ほとんどの日本人は茶褐色である。
 目の色は、虹彩色調といわれ、それは、虹彩表面・虹彩実質・色素上皮に含まれるメラニン色素顆粒の量と色調によって決定される。
 目の色を区別する要素は、メラニン色素だけということになるようだ。
 黒人やメラネシア人の色素は黒く、インド・蒙古・マレー人はやや淡い褐色から黄色、ヨーロッパの人々は淡色が多く、黄褐色から青・緑色へとさまざまの色調となる。
 それは、黒人や蒙古人種では色調の個人差は少ないが、ヨーロッパ人では身体の色素の減少とともに虹彩の色が変化すると考えられる。
 つまり、黒人や蒙古人種では虹彩表面の色素が多いが、ヨーロッパ人は虹彩実質が直接に見えてしまう、そのため、実質の色素が多ければ青色、少なければ灰色に見える。
 また、「淡色の虹彩」は脱色素のプロセスで出現するので、毛髪や皮膚が淡色の人々に限って発現するということになる。
 なお、白子・albinoは虹彩全層に色素が欠如しているために血管が見えてしまって赤色になる、だから、「色が白く・青い目の人々」が白子ということにはならない。

眼球の構造

2008-12-06 05:16:40 | Weblog

 モノが見えるためには、眼球内の網膜に「像」を結ばなければならない。
 光は、角膜というレンズを通って眼球内に入る、だが、角膜を通過した光をそのまま網膜に届けたのでは、光が強い時には網膜が焼けてしまう恐れがある。
 そこで、光の量を調節する必要があり、その働きをするのが「虹彩」。
 日本人の大多数が茶色の虹彩で、ヨーロッパ人の多くが薄い茶色や青色の淡色の虹彩の持ち主。
 つまり、瞳の色とは、この「虹彩の色」のことになる。
 そして、虹彩に囲まれた部位が「瞳孔」、これは光が通る孔(あな)で、ここを通った光だけが眼球の奥へ進むことができる。
 また、水晶体は厚くなったり薄くなったりして光を屈折させ、網膜に明確な像を写し出している。

 

15・2%が淡色の瞳

2008-12-05 06:27:39 | Weblog

 東北大学の助教授をしていた山浦玄嗣博士は、宮城県黒川郡大和町の病院で働いていたとき、海のように青い目をした患者に出会う。
 その若者は山浦氏に、自分は生粋の土地人であり、先祖や親戚にヨーロッパ人はいない、そして、自分の親戚には私のように青い目の人が多い、と語る。
 驚いた山浦氏は、土地の人々の目の色を調べ、424人の観察記録を得る。
 その結果、424人のうちの、なんと15・2%が、程度の差こそあれ青い目をしているというデータを確認する。
 「つまり6~7人に1人は目が青いのです。これは我々ヒタカミ人のことです。そしてケセンもまた青い目の人はたくさんいるのです。Exotic Japan!」
 「ヒタカミ人」とは日高見人であり、日の本の人のこと。
 「日高見国」とは古代の東日本にあった国、するとこの日本列島には、古代より青い目の人々が住んでいたことになる。