The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

東北の青い瞳

2015-01-11 03:34:49 | 世界経済
            
 一カ月のヨーロッパ旅行から帰って、上野の駅に行く、改札口の脇に若い女性、次の瞬間、
 「あっ ここはヨーロッパではなかったのだ」

 色白で長身、白人よりも白人タイプ、足元にトランクが置いてあったから、今、UENO駅に到着か、だから、
 「日本人とは 何者なんだろう」

 その直後に、『人国記』の有名な一章に出会った、
 「この国のひとは 日の本のゆえにや         
   色白くして まなこの色青きこと多し」

 東北には青い瞳の人がいる、しかも大勢、それから東北を調査したのだが、しばらくして興味を無くした。それは、虹彩の色が青いのは、それほど重要なことではなく、日光量に比例した環境適応であり、あるいはその形質の遺伝、その極端が色白・金髪・碧眼、この3点セットがハリウッドのウリだった。

 それまでのプロセスにいろいろなパターンが発生する、だから、うすい茶色や灰色の瞳であるケースもある、だが、それほどの違いではない、つまり、青い瞳だけでは人種を決定することはできない、ロマンチックではあるが。

 ところで、今回の諏訪根自子さん、両親は山形県の出身、初めて彼女の容貌に接することができたのだが、アーリアン人種を人類最高と豪語するナチスの連中が一目置いた容貌・容姿、これは、あの人国記の描写と一致するのかもしれない。

 黒白の写真なので瞳の色が分からない、どんなだったのだろう、突然話しが飛ぶが、奈良の東大寺の開眼式に出席したインド僧・菩提遷那(ぼだいせんな)の瞳は青っぽかった、千数百年前のことだ、ともあれ、このテーマは、もっと深いのかもしれない。

諏訪さんのヴァイオリン演奏

2015-01-09 02:33:03 | 世界経済
               
 今春、イチバンの発見は諏訪根自子さん、もちろん以前から知ってはいたが、これほどとは思わなかった、正統派の美少女、かつての日本には、こういう少女がいたのだ、今は、みな、商業的で時分の花を売り物にしている、なんとあざといのだろう、芸能人は、やはり売笑的、この「売笑」、古代中国では、窈窕(ようちょう)たる淑女は、人前で、歯を見せなかった。

 さて、1920年には、
 1、原節子 
 2、李香蘭
 3、諏訪根自子

 3人の婦人が誕生している、みな大人、ところで法華経では、修行中の若者が避けなければならない人々がおり、それは、
 1、芸人
 2、相撲取り
 3、男であって男でないもの・・・
 なかなかの智慧、芸人には人気が必要だが、人気だけが目当ての人生であっては、大切な時期をフイにしてしまう、10年⒛年はあっという間、気がつけば、
  未だ醒めず 春草池トウの夢
  庭前の桐葉 既に秋声     

 当時のドイツ人達を魅了した演奏は、どれほどのものか、だが、私にはその妙技のレベルが分からない、諏訪さんのⅭⅮがあるが、それを聞いてもムリだろう、県立図書館に視聴覚コーナーがあり、さまざまの音楽が聴ける、私が都はるみを楽しんでいると、となりのブースの若者、ボロボロのジーンズで赤いスニーカー、そいつが、いや彼が「バッハの無伴奏チェロ組曲」を聞いているではないか、
 「ふーん」
 だんだんハラがたってきた、だから、耳元で、
 「ワアッー」
 「な・な・な・なにをするんですか」
 「ミエはやめなさい キミはアニソンがぴったりです」    

 大学にモーツアルト同好会があり、うわっついたキザな空気、
 「モーちゃんは バックミュージックにちょーどだね」
 総スカン、お出入り禁止、こころのせまい連中だった。

 県立のブースで古代ギリシャの音楽を聞く、タイヘンな苦労で復元したもの、それは、
 「ほんのりとした悲しみがとけている ついにつかむことのできない理想をもとめたギリシャの人々のなみだがこめられている」
 遠い少年の日、野をこえ山をこえ、音でない音、曲でない曲、とうめいなメロデイーがながれている、なにかが生まれるのは音楽的、いくら言っても伝えることができない、聞いてくれる大人がいなかった。

 ドイツの若者を魅了した諏訪さんの演奏は、やはり、それなりのものだったのだろう。

SHOUWAの日本と独逸 下

2015-01-07 03:19:44 | 世界経済
         
 実に多くの外国人が来ているが、ドイツ人のグループは分かる、それは、ガイドやリーダーの説明に、ひとり残らず、耳をかたむけているからで、スマホをいじる者はいない、だから、
 「よくもわるくも マジメなんだなあー」

 ヒトラーが出てきた時、おっと、今は、ヒトラーは悪人か、だから「ヒトラーのようなアベさん」は褒め言葉にはならないらしい、それが、去年あたりから、ちょっと変化が出てきた、イスラエルがあまりにもひどいからで、国連の援助で作られた病院や学校を破壊し、女性や子供まで殺害、だから、世界中から抗議の声が沸き上がったのだが、マスコミは、あまり報道しなかったようだ、そんなこんなの最中にエボラ出血熱のリューコー、これはグーゼンなのかね・・・

 さて、当時のドイツ人が評価した諏訪さんのヴァイオリン演奏は、やはり、かなりのものだったのだろう、それと、人類最高を自負するアーリアン民族・ドイツ人を納得させるに足る彼女の容姿と容貌、日本人という人間集団には、時たま、こういうタイプが出現する、どうしてなんだろうね。

 日本女性のすばらしさばかりではなく、日本のプリンス・秩父宮のエピソードを紹介しようか、宮がドイツを訪問すると、一代の風雲児・A,ヒトラーが出迎えたのだが、ソヴィエット・ロシアのスターリンを激しく罵(ののし)った、「あいつは 約束を守らないクソヤローだ」、そんなチョーシね、すくっと立った東洋の貴公子、
 「いかなる理由があるにせよ」
 「・・・」
 「かかる公(おおやけ)の席で 一国の代表を罵倒(ばとう)するのはいかがなものでしょうか」
 「・・・」
 「それは」
 「・・・」
 「それは 一個のGentlemanのとる態度なのでありましょうか」

 満場、寂として声なし、明治天皇の資質を受けついだという秩父宮の面目躍如、
 「まるで 一幅(いっぷく)の絵を見るようではあるまいか」




SHOUWAの日本と独逸 中

2015-01-05 03:08:56 | 世界経済
               
 元日の夕方に記録映画をやっていた、あの戦争を太平洋戦争にしていた、今のテレビでは、そう決められているようだ、しかし、太平洋戦争では、太平洋をはさんだ日本とアメリカだけの戦争になる、当時の日本政府は「大東亜戦争」と命名したのではなかったか、大東亜ならアジアに広がり、アジア諸国の解放という意味が出てくる。

 GHQは、これを否定し隠そうとしたのか、戦後70年、もういいではないか、この国の歴史を見直す時期ではあるまいか。                  

 さて、フショー宮嶋とはカメラマンの宮嶋さん、Dデイの記念日にわざわざ独逸の老兵にインタヴューしている、独特の歴史観を持っているようだ、この人、自衛隊の空挺部隊の演習に参加していた、空挺部隊は、自衛隊の中でも過酷な訓練で知られている、鬼でも泣き出すほどらしい、だから、フツーのニッポンのインテリとは違っているんだろう、彼は、前のショーグンさまの隠し撮りに成功していた、
 「カメラがライフルだったら イッパツなんだがね」
   
 なにがイッパツなんだろうね・・・

 三島由紀夫については「我が友 ヒトラー」があるが、ホントーは、自分が一番だったのかもしれない、スシはトロしか食べなかったという、ところで、三島と今東光の間に確執があった、それは、三島が『禁色(きんじき)』のなかで、比叡山に伝わる秘本中の秘本を、
 「さも実見したかのように述べていた」

 これは、天台の僧侶でも見た人は数名、今が数十年をかけて研究し、なんとかものにできた、今のその著作を勝手に引用して自分の手柄にする、抗議した今に、三島は、
 「次の出版では かならず訂正します」
 だが、あの事件である、今は、
 「世間は どう評価するかしれないが 俺はあいつを許さない」

 三島はペテン師だというのだ、どんなもんだろう。

SHOUWAの日本と独逸 上

2015-01-03 04:49:21 | 世界経済
          
 カトリック禅をお休みにして、ちょっと寄り道をしようか。

 元日の朝、NHKBSでBBCのノルマンデイ作戦をやっていた、よく撮れている、連合軍のノルマンデイ上陸作戦、ヒトラーはようやくにして疲れ、名将ロンメルは南方にいた、新年の第一日にこれをやるとはさすがNHKらしい、これを見ていたら、ニッポンは連合国側に思えてくる、実際は逆、最近の日本でナチス・ドイツに親近感を持っているのは、
  1、三島由紀夫
  2、フショー 宮嶋
  3、深田祐介

 3は最近亡くなったか、彼の作品のなかで、当時、パリに滞在していたヴァイオリンニストの諏訪根自子(1920-2012)さんが、連合軍の包囲から脱出してベルリンに向かう、同盟国の独逸に避難するのだ、ところが、列車の中にヴァイオリンを置き忘れてしまった、これはストラデヴァリウスだったか、するとドイツの兵士が大切に保管して、そっと手渡してくれた、深田さんは、そのシーンを詳述している。

 日本人はすっかり変わってしまった、これから、どうなるんだろう。

The Birth of Catholic Zen 12

2015-01-01 03:16:53 | 世界経済
 
 日本には、すばらしいソフトウェアがあるのだが、それに気づいていない、そのひとつをアップルのジョブズに持っていかれた、上っ面の風潮がジャマをしている、今年は、どうなるのだろう。

         
 However.when one sees the stagnation of the present Japanese Buddhist order it seems this cannot be helped . Perhaps the people able to acquire this fine tradition and carry on with it are the Catholic monks,nuns,and priests who give their entire lives to God and discipline themselves in virtuous indigence and abstinence. Perhaps in the future people will be able to find this training method of zazen only in the Catholic order,
 「しかしながら、ニッポンの現在の仏教教団の停滞を見ると、どうにも救われない、だから、この素晴らしい伝統を継承し実行していくのは、全人生を神に奉げて、有徳の清貧と禁欲で自分たちを鍛えあげているカトリックの聖職者たちではあるまいか。
 あるいは、未来の人々は、この座禅をカトリックの教団においてのみ見るのかもしれない」

僧堂の接心で警策で打ったら、その僧侶の母親からクレーム、
 「なんてことをするんですか」
 「この子が 寺を継いでくれなかったら 私たちは寺を出ていかなけりゃあいけないんです」
 あきれてモノも言えない、このstagnationは停滞や不振の意味、orderは教団、ニッポンの仏教教団の停滞はひどいもので、仏教大学の仏教学部の入学試験にパスできない仏教寺院の跡継ぎたち、あるいは、この坐禅の修行は、カトリックの方にだけ残るのかもしれない。

       バラモンは宗教的天才
 翌朝のミサに5人の神父が参加したが、このインドの神父がダントツで、もうひとつ深いところから手足がうごいている、
 「なんと見事な所作(しょさ)であろうか」
 戦前、神田のロシア正教のミサにお茶の師匠たちが集まった、その教会の神父のお点前、おっと、ミサの動作を見学に来たのだ、すさまじい修行に耐え、何十年もの禁欲の生活を貫いた彼の動作には、なんとも言えない味があった、だから、インド人の神父の秘密は何か。

 彼のトナリに座り、本当はいけないんだが、目ん玉の黒いトコロで、それとなく観察、
 「キョロリ キョロリ」
 終に、タイヘンなことを発見しちまったんだね、坐禅には意識がある、当たり前だ、ところがである、インドから来たオトコ、それは見事な結跏趺坐(けっかふざ)、ヒンマーラヤみたいに坐っている、だが、ちょっとおかしいのだ、アタマの上の30センチぐらいのところがモヤモヤしている、
 「そうだ このオトコは意識を飛ばしているんだ」
 「だから 肉体はヌケガラでつかれない 足がしびれない」
 「いま こいつの首を切ったら コロコロのコローンだろう」    

 このことがよく分かっていたのが愛宮神父で、提唱(ていしょう)の時、
 「インド人は宗教的民族ですが なかでもバラモンは宗教的天才なのです」
 「バラモンは血族結婚で 何代何十代にわたって その宗教性を受け継いできた」
 「だから われわれヨーロッパ人が どんなにがんばってもかなわない およぶところではないのです」     

 さて、川田先生の講義の真っ最中、
 「ガタリ」
 青ゾリのアタマがドアの向こうに消えていく、次から次へ、たちまちクラスは3~4人、出席を取り終えたのでもう用はない、さっさとエスケープだ、
 「なんて失礼な連中なんだろう」
 「こんなのが 僧侶になって えらそうな顔で説教をするんだなあー」
 この間、テレビを見ていたら、そんなのが出ていた、人のことよりも自分のケツをしっかりと拭いたらいいのにね。

 川田先生は、なにごともなかったように講義を続ける、
 「だから 空海の天才よりも最澄の迷い・求道的彷徨の方が意味がある 空海の完成よりも最澄の未完成 ナミダのこぼれる求道的遍歴 そう狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)のほうがありがたい それによって この国の論理的整合性への畏敬の思いが育まれた だから こういう立場が必要であり もっと評価されてもいいのだと思います」
 11月の夕日が向かいの校舎を染める、
 「ああー 一高・三高の空気とは これだったのではなかろうか」
 「これこそが 近代日本の知性を育てたのだ それは あの中国や韓国に欠落しているもの」

 大学の脇の公園を雨傘を持って歩いておられた、かるく会釈すると、しみいるような微笑を浮かべられた、それは、
 「紫水晶を 香水であたためたよう」

 私は、なんと貴重な青春を過ごすことができたのだろう。