森と湖のまつり ☆☆
1958.11.26 東映、カラー、横長サイズ
監督:内田吐夢、脚本:植草圭之助、原作:武田泰淳
出演:高倉健、香川京子、三国連太郎、中原ひとみ、有馬稲子
加藤嘉、藤里まゆみ
大きな空と広い草原、
大きな大地、広い山々。
木々の揺れと川の流れ。
勇ましい海と強い波。
アイヌの人々の素朴な暮し。
香川京子は純真で真剣。
ちょっと強くてきつい感じの東京から来た若い女性の画家で、
アイヌ研究家の先生に付いて来た。
中原ひとみはアイヌと内地人の混血の娘で濃いメーク。
有馬稲子はアイヌの女性でキレが良い。バーのマダムで、
サイコロ代わりのコマをブンっと回して登場する。
アイヌ研究家の元妻という設定。
高倉健はアイヌの活動家。一途で寡黙。
加藤嘉は高倉健の姉役の藤里まゆみに惚れられる内地人の先生。
最後は生き仏のようなヨボヨボの老人のようになってしまう。
三国連太郎はひたすらワイルド。情熱が炸裂する。
鉄砲打ちで、漁師。
内地人とアイヌの深い溝を埋めようとする人々と、アイヌ固有の文化の独自性を維持しようとする人々との葛藤を描いた映画。何故か西部劇のような決闘場面には違和感があった。
文化というものは離合集散、増殖淘汰を繰り返して進化発展して来たもので、その意味では1つの文化がそのまま変化せずに維持されるという事はあり得ない。独自性を維持して変化しない文化があるとすれば、それはその文化の死を意味する。進化のためには離合集散、増殖淘汰が避けられない。
この離合集散の「合」と「集」とは多くの異文化がぶつかり合って、さらに多くの異文化が生まれるという事を意味している。当然、このぶつかり合いのためには、そもそもあらかじめ多数の異文化が必要である。そして、この異文化が多数存在するという事のためには、個々の異文化はその独自性が長く維持されなければならない。ところが文化の「合」「集」すなわち融合や、あるいは淘汰とは、その維持しなければならない独自性の一部を放棄することや変化を意味している。
つまり独自性の維持を壊す「合」「集」と、独自性の維持と言うことの両方が、進化のためには必要なのである。矛盾した2つの事が両方必要なのである。
特定の文化を絶滅させるのではなく、部分的あるいは緩和的なプロセスで融合や放棄を行って、文化の独自性の維持と変化のうまいバランスを保って離合集散、増殖淘汰を実現して行く事が進化には必要である。要するに異文化の統合を意味するグローバリズムと、文化の独自性維持を意味するローカリズムの適度なバランスが必要だという事である。これによって文化の進化が適度に促されて行く。この映画にはその事が良く表れていると思った。
10.08.08 新文芸座
1958.11.26 東映、カラー、横長サイズ
監督:内田吐夢、脚本:植草圭之助、原作:武田泰淳
出演:高倉健、香川京子、三国連太郎、中原ひとみ、有馬稲子
加藤嘉、藤里まゆみ
大きな空と広い草原、
大きな大地、広い山々。
木々の揺れと川の流れ。
勇ましい海と強い波。
アイヌの人々の素朴な暮し。
香川京子は純真で真剣。
ちょっと強くてきつい感じの東京から来た若い女性の画家で、
アイヌ研究家の先生に付いて来た。
中原ひとみはアイヌと内地人の混血の娘で濃いメーク。
有馬稲子はアイヌの女性でキレが良い。バーのマダムで、
サイコロ代わりのコマをブンっと回して登場する。
アイヌ研究家の元妻という設定。
高倉健はアイヌの活動家。一途で寡黙。
加藤嘉は高倉健の姉役の藤里まゆみに惚れられる内地人の先生。
最後は生き仏のようなヨボヨボの老人のようになってしまう。
三国連太郎はひたすらワイルド。情熱が炸裂する。
鉄砲打ちで、漁師。
内地人とアイヌの深い溝を埋めようとする人々と、アイヌ固有の文化の独自性を維持しようとする人々との葛藤を描いた映画。何故か西部劇のような決闘場面には違和感があった。
文化というものは離合集散、増殖淘汰を繰り返して進化発展して来たもので、その意味では1つの文化がそのまま変化せずに維持されるという事はあり得ない。独自性を維持して変化しない文化があるとすれば、それはその文化の死を意味する。進化のためには離合集散、増殖淘汰が避けられない。
この離合集散の「合」と「集」とは多くの異文化がぶつかり合って、さらに多くの異文化が生まれるという事を意味している。当然、このぶつかり合いのためには、そもそもあらかじめ多数の異文化が必要である。そして、この異文化が多数存在するという事のためには、個々の異文化はその独自性が長く維持されなければならない。ところが文化の「合」「集」すなわち融合や、あるいは淘汰とは、その維持しなければならない独自性の一部を放棄することや変化を意味している。
つまり独自性の維持を壊す「合」「集」と、独自性の維持と言うことの両方が、進化のためには必要なのである。矛盾した2つの事が両方必要なのである。
特定の文化を絶滅させるのではなく、部分的あるいは緩和的なプロセスで融合や放棄を行って、文化の独自性の維持と変化のうまいバランスを保って離合集散、増殖淘汰を実現して行く事が進化には必要である。要するに異文化の統合を意味するグローバリズムと、文化の独自性維持を意味するローカリズムの適度なバランスが必要だという事である。これによって文化の進化が適度に促されて行く。この映画にはその事が良く表れていると思った。
10.08.08 新文芸座