塩の駅 を出て、国の重要文化財に指定されている、最大級の木造民家 上時国家 (かみときくにけ)に到着。
源平・壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したのち、能登(現在の珠洲市)に配流となった 平時忠 の末裔が建てたとされる家です。
時忠のことは全く不勉強で、能登の地に来て、平家のお屋敷を訪ねようとは思ってもいませんでしたが
源平の合戦があった下関で育った私には、壇ノ浦の戦いの際に幼くして亡くなった安徳天皇はとてもなじみにある名前。
その安徳天皇と時忠の関係を知って、もうびっくり!
時忠の姉時子が清盛に嫁ぎ、妹滋子が後白河天皇に嫁ぎ
清盛と時子の娘徳子と、滋子と後白河天皇の子である高倉天皇の間に生まれたのが、なんと安徳天皇と言うことで
安徳天皇にとって時忠は、父方と母方双方の叔父(伯父)に当たるというわけです。
この話を聞き、一気にこのお屋敷が身近に感じられてきて、世間は狭いな~と勝手に思った次第です。(笑)

坂の上の高台に立っています。
およそ180年前に建造(完成までに28年)

残念ながら今回修復工事中で、全体像を眺めることはできませんでした。

それでも、入母屋造の茅葺の大屋根(高さ18メートル)が見てとれます。

約20分かけて丁寧にガイドしていただきました。
丸に揚羽蝶 の平家定紋が並ぶふすま

同じように見える天井でも、大納言の間のものには金の縁取り(縁金折上格天井)があります。

欄間もかなり凝っていますが、室内は暗すぎて画質が悪
これくらいしかお見せできなくてすみません。


大納言の間


心字池

これが、ふろしきの語源となった敷物だそうです。

武具や化粧道具、遊び道具などもいっぱい残されていました。





土間に吊るされた籠

結構な急勾配です。

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源平・壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したのち、能登(現在の珠洲市)に配流となった 平時忠 の末裔が建てたとされる家です。
時忠のことは全く不勉強で、能登の地に来て、平家のお屋敷を訪ねようとは思ってもいませんでしたが
源平の合戦があった下関で育った私には、壇ノ浦の戦いの際に幼くして亡くなった安徳天皇はとてもなじみにある名前。
その安徳天皇と時忠の関係を知って、もうびっくり!
時忠の姉時子が清盛に嫁ぎ、妹滋子が後白河天皇に嫁ぎ
清盛と時子の娘徳子と、滋子と後白河天皇の子である高倉天皇の間に生まれたのが、なんと安徳天皇と言うことで
安徳天皇にとって時忠は、父方と母方双方の叔父(伯父)に当たるというわけです。
この話を聞き、一気にこのお屋敷が身近に感じられてきて、世間は狭いな~と勝手に思った次第です。(笑)

坂の上の高台に立っています。
およそ180年前に建造(完成までに28年)


残念ながら今回修復工事中で、全体像を眺めることはできませんでした。

それでも、入母屋造の茅葺の大屋根(高さ18メートル)が見てとれます。

約20分かけて丁寧にガイドしていただきました。
丸に揚羽蝶 の平家定紋が並ぶふすま


同じように見える天井でも、大納言の間のものには金の縁取り(縁金折上格天井)があります。

欄間もかなり凝っていますが、室内は暗すぎて画質が悪
これくらいしかお見せできなくてすみません。


大納言の間


心字池

これが、ふろしきの語源となった敷物だそうです。

武具や化粧道具、遊び道具などもいっぱい残されていました。





土間に吊るされた籠

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